HAPPY CLOVER 4-学園祭に恋して-
#05 死闘を繰り広げる俺の中の天使と悪魔について(side暖人)
 今日はあいにくの雨で、体育の授業は体育館でバレーボールになった。

 隣では女子もバレーボールをしているが、舞ときたらボールには一度も触らない。そもそもボールを見ていないのだから、触る触らない以前の話だ。

 コートの隅っこに突っ立って、誰にも目線を合わせず、それでいて器用にチームメイトの邪魔をしないよう、時折数歩移動する。

 ――あれは何をやっているんだろうな……。

 休憩中の俺はステージに腰かけて、舞の様子を観察していた。

 あそこまで徹底して存在感を消すことは、並の人間には真似できない芸当だ。というか、並の人間であれば自分の存在感を消す必要がない。

 舞はそこまでしないと心の平安を保つことができないのだろうか。

 どちらかというと俺は並の人間だ。並の家庭で、並の幼児期を過ごし、並の学生時代を送っている。家族は元気で、過去に大病もなければ、事故や事件に遭遇したこともない。

 考えてみれば普通の生活というありきたりなものが、実は一番幸福な時間なのかもしれない。



 ――しかし10日後ってどういうことだ?



 舞の不思議なステップを眺めながら、俺は彼女から聞いた綾香先生の謎の予言を思い出していた。

 シンプルな予言だが、あまりにも意味不明すぎる。そのせいで昨晩からずっと俺の頭の中には「10日」の謎がぐるぐる回っていた。

 舞の話だと綾香先生は「10日後に(アレが)来るから心配いらない」と断言したらしい。だがその根拠についての説明は皆無だったそうだ。しかもあっけに取られた舞は「はい」と返事をして、そのまま戻ってきてしまった。

 報告を受けた俺のもどかしさといったら、背中の手の届かない部分がかゆくてたまらないような感じだ。

 まぁ、いい。ありがたいことに、俺にとっては他人事だ。

 体育の授業が終わり、俺は体育館内のトイレに寄った。

 後ろから誰かがついてきた、と思ったら、隣に並ぶ。その男を横目でチラッと盗み見ると、相手は「よぉ」と声を掛けてきた。

「堀内。お前、何考えてるんだよ」

 俺は隣で用を足そうとしている堀内を睨んだ。

「ん? 何が?」

「『何が?』じゃないだろ。お前が無神経なせいで、高梨はめちゃくちゃ悩んでいるんだぞ」

 堀内は難しい顔をして俺から目をそらす。当然だろう。コイツには大声どころか小声でも言えないやましいことがあるんだから。

 しかし次の瞬間、堀内はこっちを見てニヤッと笑った。



「清水も気をつけろよ」



「は?」

 俺の顔はこれ以上ないほど険しくなる。

「いや、俺だって細心の注意を払っているけど。でもほら、やっぱり欲望には勝てないっていうか」

「……お前、バカか?」

 堀内は俺の言葉でサッと不真面目な表情を消した。それから小さくため息をつく。

「こんなこと言っても清水は信じないかもしれないけど、俺はマジなんだ」

「は?」

「俺はマジでアイツと結婚したいんだ」

 小さな声でそう言い切った堀内は、恥ずかしそうに微笑んだ。俺は思わず堀内をまじまじと見つめてしまう。

「いや、だからって……」

「できてたら、俺、働くし」

「堀内、簡単に言うな。この不況の時代に高校中退なんかしたら……」

「まぁ、大変だろうけど、何とかするし」

 俺は唖然としてしまった。その隙に堀内がこっちへ首を伸ばしてくる。

「おい、覗くな!」

「いいじゃん、別に」

 またへらへら顔に戻った堀内はジャージを直し、洗面台の前で髪をいじる。

 その後ろを通り過ぎようとしたら、堀内が鏡越しにこっちを見た。



「清水も気をつけろよ。お前、早そうだから」



「は? 何が?」

 俺は思わず立ち止まっていた。

 鏡に映る男がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。その顔が気に食わない。



「いや、手も早そうだし、……案外ラストスパートも早い、みたいな?」



「そんなわけないだろ! お前と一緒にするな!」



 コイツは正真正銘のバカだ。

 心配してやった俺の貴重な時間と気持ちを返せ、と堀内のニヤけた顔に、内心で罵倒を浴びせてトイレを出た。

 あんな緊張感のない堀内が相手だなんて、高梨がかわいそうだ。高梨はしっかり者に見えるけど、案外ダメ男に騙されるタイプなのかもしれない。

 だけど、堀内の言葉で一瞬俺がドキッとしたことは事実だった。



 ――『結婚したい』……か。



 あのチャラ男の言葉にたいした重みなどあるはずもない。それこそ風が吹いたら飛んでいってしまうくらいの軽さだろう。

 それでも、もしかしたら彼女が妊娠しているかもしれないという状況で、『結婚したい』と言える堀内に俺は圧倒されていた。

 俺が堀内の立場だったらどうするだろう。

 そりゃ、俺だって将来をたまに夢想することだってある。

 今、高校2年生の俺たちは、来年になれば受験生と呼ばれるようになる。そして受験が終われば、次の春からは大学生か、あるい浪人ということになるだろう。

 付き合っている彼女がいれば当然同じ大学に進んで、楽しい大学生活を送りたいと願うに決まっている。

 そしてその先にやっと結婚という大きな目標が見えてくるんじゃないのか?

 と、ここまで考えて俺は、このよいこのお手本のような人生設計図に突然気恥ずかしさを覚えてしまった。



 ――これは……俺の父親が言い出しそうな話じゃないか。



 いつの間にか俺は、むやみに常識を振りかざす父親の思想に毒されていたようだ。

 体育館からの長い廊下を歩く。窓の外には格技場に続いて弓道場が見えてきた。

 俺は別に清く正しく美しい恋愛を目指しているわけじゃない。

 こう言ってしまうと身も蓋もないが、俺だって健全な男子高校生だ。なんだかんだ言っても、堀内を羨ましく思う気持ちが心の奥に居座っているのは事実だった。

 だが今の俺は、堀内のように無邪気なふるまいもできそうにない。

 その理由はアイツだ。

 そう、高橋諒一という舞の従兄が目の前に現れたせいで、俺は自分の行動にブレーキをかけずにはいられなくなってしまったのだ。

 夏休みが終わり、俺たちの生活から諒一は姿を消した。だから何もあんなヤツの存在など気にする必要はない。



 ――と、思いたいけど……。
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