HAPPY CLOVER 4-学園祭に恋して-
#08 アヤシイふたり(side舞)
「ちょっと、高橋さん。こっち来て」
私は高梨さんに腕を引っ張られて、廊下に出た。
学園祭前日ともなると、廊下をぶらぶら歩いている生徒はいない。あちこちから忙しく釘を打つ音、机や椅子がぶつかり合う音、そして張りのある声が聞こえてきて、校内はすっかりお祭り気分に染まっている。
「あのね、実は……来たんだ!」
「えっ!? 来たって……?」
「アレが、来たんだよー!」
突然高梨さんが私に飛びついてきた。柔らかい身体が押しつけられ、女の子の甘い香りが鼻をかすめる。シャンプーの匂いかな、とぼんやり思ったところに、高梨さんの声がした。
「ありがとうね。本当にありがとう!」
「いえ、私はなにもしていませんし」
少しのけぞるようにして、困った顔を高梨さんに見せる。
しかし高梨さんは真剣な表情で首を横にブンブンと振った。
「いいや、高橋さんが相談に乗ってくれなかったら、私、もっと事態を悪化させていたかもしれないんだ」
「どういうことですか?」
「ほら、親に言ってしまうとか。そうなると『相手は誰だ』ってなるでしょ。ウチのお父さん、すぐカッとなるから堀内の家に怒鳴り込みに行っちゃうと思う。そしたら堀内、学校にいられなくなっちゃうよ」
「そんな、大げさな……」
「だってね、小学生のころ、学校帰り、私が誰かに後ろから押されて転んだことがあったんだ。友達同士でふざけていたのもあるんだけど、びっくりしたし、痛かったから泣きながら帰宅したわけ。ま、低学年のときはそういうことってよくあるじゃない?」
「はぁ」
「だけどお父さん、勤務先から学校に電話して『転ばせてジャージに穴まで開いたのに、あやまらないとはどういうことだ』ってすごい剣幕で苦情入れたから、翌日、担任が帰りの会で『高梨さんを転ばせた犯人が手を挙げるまで全員帰れません』って言い出してさ」
「……ホントですか?」
「もちろんホントだよ。これってれっきとしたモンスターペアレンツだよね。だから家でヘタなこと言えないんだ。とはいえ、今回は本当に悩んでいたから、お母さんにはこっそり相談しようかと思い詰めていて……」
「そうだったんですか」
「弱気になっていたとき、高橋さんから『10日で生理が来る』って言われたじゃない?」
「はぁ」
「あのとき、なぜか『そうなんだ!』って思えたんだ。急に不安がなくなったの」
私は驚いて目をぱちくりとさせていた。さっきから高梨さんの話に圧倒され、びっくりしたままで固まっている。
「そしたらホントに来たんだよ! ねぇ、高橋さんって超能力者!?」
「あの、私、大したことはしていませんけど」
そう。高梨さんは知らないだろうけど、私はただ綾香先生から聞いたことを、もっともらしく聞こえるように装飾しただけなのだ。
だから根拠のないことを鵜呑みにした高梨さんから感謝されても、無邪気に喜べない。むしろ後ろめたさが私を伏し目がちにさせた。
「いや、私にとっては『生きるか死ぬか』くらいの大問題だったんだよ。来れば天国、来なかったら地獄。でもなかなかこういうことを話せる相手がいなくって……。高橋さん、いろいろありがとう」
「本当によかったですね……」
感極まった高梨さんが、私に頭を下げて、軽やかな足取りで教室へ戻っていくのを見送る。私は廊下にポツンと取り残された。
結局気の利いたことのひとつも言えずに終わり、高梨さんも会話がしにくかっただろうと申し訳なく思う。
――でも『生きるか死ぬか』の大問題を私に話してくれたんだ。
それがなんだか嬉しい。
私は高梨さんが妊娠していなかったことよりも、彼女が私を信頼してくれたことに無上の喜びを覚えていた。人間とは勝手なもので、他人の幸せよりも、まずは自分自身の幸せを思う存分噛みしめたいと思うものらしい。
スキップしたいくらい気持ちが弾んでいたが、また西さんになにか言われるのは嫌なので、普通に歩いて教室へ戻った。
そういえば、と私は教室内を見回しながら思う。
少し前から清水くんの姿がない。どこかへ行って、まだ帰って来ていないようだ。どこへ行ったのだろう。
割り当てられた作業が終わってしまって、私は手持ち無沙汰だった。できれば誰かの指示をあおいで、次の作業に取りかかりたいが、誰に聞けばいいのかわからない。こういうときは、やはり企画書を作成した清水くんに聞くのが一番だ。
「清水、どこ行ったんだ?」
田中くんが、つぶやきにしてはずいぶん大きな声で言った。どうやら田中くんも作業が一段落し、指示を待っている状態らしい。
「ゴミ捨てに行ったんじゃないか?」
野球部の男子が答える。彼はなんという名前だったかな、と考えていると、田中くんが私の前に来た。
「探してきてくれない?」
田中くんは周囲に気を配って、さりげなく小声で私に言った。驚いたけど、断る理由もない。私はぎこちなく首を縦に振った。
私は高梨さんに腕を引っ張られて、廊下に出た。
学園祭前日ともなると、廊下をぶらぶら歩いている生徒はいない。あちこちから忙しく釘を打つ音、机や椅子がぶつかり合う音、そして張りのある声が聞こえてきて、校内はすっかりお祭り気分に染まっている。
「あのね、実は……来たんだ!」
「えっ!? 来たって……?」
「アレが、来たんだよー!」
突然高梨さんが私に飛びついてきた。柔らかい身体が押しつけられ、女の子の甘い香りが鼻をかすめる。シャンプーの匂いかな、とぼんやり思ったところに、高梨さんの声がした。
「ありがとうね。本当にありがとう!」
「いえ、私はなにもしていませんし」
少しのけぞるようにして、困った顔を高梨さんに見せる。
しかし高梨さんは真剣な表情で首を横にブンブンと振った。
「いいや、高橋さんが相談に乗ってくれなかったら、私、もっと事態を悪化させていたかもしれないんだ」
「どういうことですか?」
「ほら、親に言ってしまうとか。そうなると『相手は誰だ』ってなるでしょ。ウチのお父さん、すぐカッとなるから堀内の家に怒鳴り込みに行っちゃうと思う。そしたら堀内、学校にいられなくなっちゃうよ」
「そんな、大げさな……」
「だってね、小学生のころ、学校帰り、私が誰かに後ろから押されて転んだことがあったんだ。友達同士でふざけていたのもあるんだけど、びっくりしたし、痛かったから泣きながら帰宅したわけ。ま、低学年のときはそういうことってよくあるじゃない?」
「はぁ」
「だけどお父さん、勤務先から学校に電話して『転ばせてジャージに穴まで開いたのに、あやまらないとはどういうことだ』ってすごい剣幕で苦情入れたから、翌日、担任が帰りの会で『高梨さんを転ばせた犯人が手を挙げるまで全員帰れません』って言い出してさ」
「……ホントですか?」
「もちろんホントだよ。これってれっきとしたモンスターペアレンツだよね。だから家でヘタなこと言えないんだ。とはいえ、今回は本当に悩んでいたから、お母さんにはこっそり相談しようかと思い詰めていて……」
「そうだったんですか」
「弱気になっていたとき、高橋さんから『10日で生理が来る』って言われたじゃない?」
「はぁ」
「あのとき、なぜか『そうなんだ!』って思えたんだ。急に不安がなくなったの」
私は驚いて目をぱちくりとさせていた。さっきから高梨さんの話に圧倒され、びっくりしたままで固まっている。
「そしたらホントに来たんだよ! ねぇ、高橋さんって超能力者!?」
「あの、私、大したことはしていませんけど」
そう。高梨さんは知らないだろうけど、私はただ綾香先生から聞いたことを、もっともらしく聞こえるように装飾しただけなのだ。
だから根拠のないことを鵜呑みにした高梨さんから感謝されても、無邪気に喜べない。むしろ後ろめたさが私を伏し目がちにさせた。
「いや、私にとっては『生きるか死ぬか』くらいの大問題だったんだよ。来れば天国、来なかったら地獄。でもなかなかこういうことを話せる相手がいなくって……。高橋さん、いろいろありがとう」
「本当によかったですね……」
感極まった高梨さんが、私に頭を下げて、軽やかな足取りで教室へ戻っていくのを見送る。私は廊下にポツンと取り残された。
結局気の利いたことのひとつも言えずに終わり、高梨さんも会話がしにくかっただろうと申し訳なく思う。
――でも『生きるか死ぬか』の大問題を私に話してくれたんだ。
それがなんだか嬉しい。
私は高梨さんが妊娠していなかったことよりも、彼女が私を信頼してくれたことに無上の喜びを覚えていた。人間とは勝手なもので、他人の幸せよりも、まずは自分自身の幸せを思う存分噛みしめたいと思うものらしい。
スキップしたいくらい気持ちが弾んでいたが、また西さんになにか言われるのは嫌なので、普通に歩いて教室へ戻った。
そういえば、と私は教室内を見回しながら思う。
少し前から清水くんの姿がない。どこかへ行って、まだ帰って来ていないようだ。どこへ行ったのだろう。
割り当てられた作業が終わってしまって、私は手持ち無沙汰だった。できれば誰かの指示をあおいで、次の作業に取りかかりたいが、誰に聞けばいいのかわからない。こういうときは、やはり企画書を作成した清水くんに聞くのが一番だ。
「清水、どこ行ったんだ?」
田中くんが、つぶやきにしてはずいぶん大きな声で言った。どうやら田中くんも作業が一段落し、指示を待っている状態らしい。
「ゴミ捨てに行ったんじゃないか?」
野球部の男子が答える。彼はなんという名前だったかな、と考えていると、田中くんが私の前に来た。
「探してきてくれない?」
田中くんは周囲に気を配って、さりげなく小声で私に言った。驚いたけど、断る理由もない。私はぎこちなく首を縦に振った。