HAPPY CLOVER 4-学園祭に恋して-
昼に係を外してもらうため、午前は連続でお化け屋敷要員になっていた。今度は屋敷の中間で客を入れるタイミングを調整する係で、裏方の中でもかなり重要な任務と言える。
受付には女子バレーボール部の山辺さんがいた。隣には西こずえの金魚のふん的存在の藤谷さんが座っている。
「清水くん、よろしくね」
「合図出したら、客入れて」
「任せて!」
山辺さんが親指を突き立てて見せる。確認が終わると同時に新たな客を迎え入れた。
この1時間は夢中で仕事をしていたせいか、あっという間に終わった。来客数が増えてきて、係を交代する午前11時ころには廊下に30人以上が並んでいた。
企画書を作成した俺としては、この盛況ぶりを目の当たりにして嬉しくないわけがない。自然と頬が緩んでしまうが、必死でポーカーフェイスを装う。
自分たちで作り上げたものが、他の誰かを楽しませるなんて、最高にエキサイティングなことじゃないか。
というわけで俺は弾むような歩調で廊下を進み、舞と待ち合わせをした体育館前へ向かった。
体育館内のステージでは、ちょうど軽音部がテンポのかみ合わないロックを披露中だ。
舞はその演奏を客席の最後列に座って聴いていた。さりげなくその隣に座り、俺は舞の横顔を見る。
「楽しい?」
「えっと、やはりプロのバンドのみなさんって本当に上手なんだな、と再認識しているところ」
「それ、アイツらが下手くそだって言ってるのと同じだよ」
俺が笑いながら言うと、舞は少し慌てて「いえ、そうではなくて」と否定する。
「よく『みんなで心を合わせて』と簡単に言うけど、実際は難しいことでしょう」
「まぁ、そうだね」
「特に彼らはそれぞれ自己主張が激しそうだな、と思って。でも頑張ってるとは思う」
舞の目はステージ上に向けられていた。眼鏡の奥でほんの少し目を細めて、困ったような笑みを浮かべる。
俺はその慈悲深い視線に嫉妬した。
「ずいぶん、上から目線だね」
「あ、いや、そうではなくて……」
「舞はロックとか好きなの?」
「わりと好きかも」
「へぇ。俺も好き」
「カラオケで歌ってましたね」
ちょっといい雰囲気になってきた、と思ったそのとき、突然、俺の隣に誰かが勢いよく腰かけた。
そして俺のほうを向いて、その人が口を開いた。
「かわいいお嬢さんね。えっと、なんていうのかしら……こけ、こけ?」
「コケコッコー!」
さらに向こう側から見覚えのある中学生の女子が、聞きなれた声を上げる。途端に俺の顔は青ざめた。
「違うわよ。こういう女の子の雰囲気を、ほら! こけ……なんとかっていうじゃない?」
「こけ……し?」
「ああん! 近いけど違う。和風じゃなくて、カタカナで、コケ……」
俺は隣の席に座り込んできた、自分の母親の顔をまじまじと見つめた。背後で舞が今にも震えだしそうな様子でビクビクしているのが、手に取るようにわかる。
「コケティッシュ、とか言いたいんだろ。いいからふたりともどっか行け!」
そもそも「こけし」と「コケティッシュ」のどこが近いんだ。
そう憤りながら母親と妹を睨みつけたが、ふたりは俺の怒りなどまったく気に留めず、それどころか身を乗り出して舞をじろじろと観察している。
しかしこのふたりに遠慮というものはないのか。
――ない、な。あるわけがない。
俺は舞を隠すように背筋を伸ばす。
「あらあら、母親に向かって『どっか行け』なんて、そんな口の利き方、教えた覚えがありませんけれども。ね、笑佳?」
「はる兄は言葉が乱暴だから嫌。きれいな顔なのにかなり損してるよね」
「……嫌なら俺のところに来るな」
よく40代の人気女優に似ていると言われる母親と、中学生にしては大人びた妹の顔を交互にねめつける。ふたりは顔を見合わせて不満そうな顔をした。
「そんなに冷たくされたら、泣いちゃうんだから!」
「え、ちょっと、お母さん?」
手で顔を覆った母親はわざとらしく「うえーん」と声を上げた。
すると後ろで舞がプッと噴き出した。
「……舞?」
「あ、すみません」
舞は笑いを無理矢理引っ込めて、首を縮めた。
「舞ちゃんっていうのね!」
突然、泣きまねをしていた俺の母親が、ガバッと顔を上げ、目を輝かせる。妹の笑佳も目を丸くして舞を見つめていた。
「あの、高橋舞と申します」
消え入りそうな小声だったが、舞ははにかみながらそう言った。俺は舞を振り返る。案外、落ち着いた様子だ。
「あらあら、暖人の母です。いつもお世話になってます」
「と、とんでもないです。私のほうこそいつも清水くんに迷惑をかけまくっていて……」
舞はすっかり恐縮した面持ちだったが、俺の母親と普通に会話をしている。その不思議な光景を、俺は奇跡を見るような想いで眺めていた。
まぁ、BGMはそれをぶち壊すような調子ハズレのロックなんだが、この際それも許してやるか。
このやり取りで満足したのか、俺の母親は「それじゃあ」と席を立った。
「暖人、舞ちゃんを泣かせるようなことをしたら、私が許しませんからね」
「わかってる」
「じゃあ、舞ちゃん、また会いましょうね」
ひらひらと手を振りながら、母親と妹はあっという間に立ち去った。やって来たときも突然だったが、いなくなるのも素早い。もしかすると、あの母親にしては珍しく俺たちに気を利かせたつもりなのかもしれない。
「ごめん。びっくりしたよね?」
俺は舞のほうを向く。
「え、……まぁ、少し」
こういうとき、舞はとても素直だ。
たいていの女子は俺に媚を売るかのように「ううん、全然」などと平気でウソをつく。それから母親の容姿を大げさなほど褒めちぎる。そのたびに小さくため息をついてきた俺としては、舞の素朴な反応が嬉しい。
「でもおもしろいお母様ですね」
「コケコケ、しつこくてごめん」
「うちの母親も普通とは言いがたいけど、清水くんのお母様はなんというか、かわいらしい……?」
「どこが!?」
俺は思わず大きな声を出した。舞がびっくりした顔をする。
「若く見せようとして、ことごとく失敗しているイタイ母親だよ。ついでに頭も弱い」
「そうではないと思います。私は素敵なお母様だと思いましたよ」
やけにはっきりとした口調で言い切った舞は、俺を見てにっこりと笑った。
その瞬間、カシャッと胸の中でシャッター音が鳴る。
できることなら今を切り取って、心の奥に焼き付けておきたいと思う。好きなときにいつでも取り出して眺められるように。
その笑顔がいつまでも色褪せないことを願いながら、俺も彼女に微笑み返した。
受付には女子バレーボール部の山辺さんがいた。隣には西こずえの金魚のふん的存在の藤谷さんが座っている。
「清水くん、よろしくね」
「合図出したら、客入れて」
「任せて!」
山辺さんが親指を突き立てて見せる。確認が終わると同時に新たな客を迎え入れた。
この1時間は夢中で仕事をしていたせいか、あっという間に終わった。来客数が増えてきて、係を交代する午前11時ころには廊下に30人以上が並んでいた。
企画書を作成した俺としては、この盛況ぶりを目の当たりにして嬉しくないわけがない。自然と頬が緩んでしまうが、必死でポーカーフェイスを装う。
自分たちで作り上げたものが、他の誰かを楽しませるなんて、最高にエキサイティングなことじゃないか。
というわけで俺は弾むような歩調で廊下を進み、舞と待ち合わせをした体育館前へ向かった。
体育館内のステージでは、ちょうど軽音部がテンポのかみ合わないロックを披露中だ。
舞はその演奏を客席の最後列に座って聴いていた。さりげなくその隣に座り、俺は舞の横顔を見る。
「楽しい?」
「えっと、やはりプロのバンドのみなさんって本当に上手なんだな、と再認識しているところ」
「それ、アイツらが下手くそだって言ってるのと同じだよ」
俺が笑いながら言うと、舞は少し慌てて「いえ、そうではなくて」と否定する。
「よく『みんなで心を合わせて』と簡単に言うけど、実際は難しいことでしょう」
「まぁ、そうだね」
「特に彼らはそれぞれ自己主張が激しそうだな、と思って。でも頑張ってるとは思う」
舞の目はステージ上に向けられていた。眼鏡の奥でほんの少し目を細めて、困ったような笑みを浮かべる。
俺はその慈悲深い視線に嫉妬した。
「ずいぶん、上から目線だね」
「あ、いや、そうではなくて……」
「舞はロックとか好きなの?」
「わりと好きかも」
「へぇ。俺も好き」
「カラオケで歌ってましたね」
ちょっといい雰囲気になってきた、と思ったそのとき、突然、俺の隣に誰かが勢いよく腰かけた。
そして俺のほうを向いて、その人が口を開いた。
「かわいいお嬢さんね。えっと、なんていうのかしら……こけ、こけ?」
「コケコッコー!」
さらに向こう側から見覚えのある中学生の女子が、聞きなれた声を上げる。途端に俺の顔は青ざめた。
「違うわよ。こういう女の子の雰囲気を、ほら! こけ……なんとかっていうじゃない?」
「こけ……し?」
「ああん! 近いけど違う。和風じゃなくて、カタカナで、コケ……」
俺は隣の席に座り込んできた、自分の母親の顔をまじまじと見つめた。背後で舞が今にも震えだしそうな様子でビクビクしているのが、手に取るようにわかる。
「コケティッシュ、とか言いたいんだろ。いいからふたりともどっか行け!」
そもそも「こけし」と「コケティッシュ」のどこが近いんだ。
そう憤りながら母親と妹を睨みつけたが、ふたりは俺の怒りなどまったく気に留めず、それどころか身を乗り出して舞をじろじろと観察している。
しかしこのふたりに遠慮というものはないのか。
――ない、な。あるわけがない。
俺は舞を隠すように背筋を伸ばす。
「あらあら、母親に向かって『どっか行け』なんて、そんな口の利き方、教えた覚えがありませんけれども。ね、笑佳?」
「はる兄は言葉が乱暴だから嫌。きれいな顔なのにかなり損してるよね」
「……嫌なら俺のところに来るな」
よく40代の人気女優に似ていると言われる母親と、中学生にしては大人びた妹の顔を交互にねめつける。ふたりは顔を見合わせて不満そうな顔をした。
「そんなに冷たくされたら、泣いちゃうんだから!」
「え、ちょっと、お母さん?」
手で顔を覆った母親はわざとらしく「うえーん」と声を上げた。
すると後ろで舞がプッと噴き出した。
「……舞?」
「あ、すみません」
舞は笑いを無理矢理引っ込めて、首を縮めた。
「舞ちゃんっていうのね!」
突然、泣きまねをしていた俺の母親が、ガバッと顔を上げ、目を輝かせる。妹の笑佳も目を丸くして舞を見つめていた。
「あの、高橋舞と申します」
消え入りそうな小声だったが、舞ははにかみながらそう言った。俺は舞を振り返る。案外、落ち着いた様子だ。
「あらあら、暖人の母です。いつもお世話になってます」
「と、とんでもないです。私のほうこそいつも清水くんに迷惑をかけまくっていて……」
舞はすっかり恐縮した面持ちだったが、俺の母親と普通に会話をしている。その不思議な光景を、俺は奇跡を見るような想いで眺めていた。
まぁ、BGMはそれをぶち壊すような調子ハズレのロックなんだが、この際それも許してやるか。
このやり取りで満足したのか、俺の母親は「それじゃあ」と席を立った。
「暖人、舞ちゃんを泣かせるようなことをしたら、私が許しませんからね」
「わかってる」
「じゃあ、舞ちゃん、また会いましょうね」
ひらひらと手を振りながら、母親と妹はあっという間に立ち去った。やって来たときも突然だったが、いなくなるのも素早い。もしかすると、あの母親にしては珍しく俺たちに気を利かせたつもりなのかもしれない。
「ごめん。びっくりしたよね?」
俺は舞のほうを向く。
「え、……まぁ、少し」
こういうとき、舞はとても素直だ。
たいていの女子は俺に媚を売るかのように「ううん、全然」などと平気でウソをつく。それから母親の容姿を大げさなほど褒めちぎる。そのたびに小さくため息をついてきた俺としては、舞の素朴な反応が嬉しい。
「でもおもしろいお母様ですね」
「コケコケ、しつこくてごめん」
「うちの母親も普通とは言いがたいけど、清水くんのお母様はなんというか、かわいらしい……?」
「どこが!?」
俺は思わず大きな声を出した。舞がびっくりした顔をする。
「若く見せようとして、ことごとく失敗しているイタイ母親だよ。ついでに頭も弱い」
「そうではないと思います。私は素敵なお母様だと思いましたよ」
やけにはっきりとした口調で言い切った舞は、俺を見てにっこりと笑った。
その瞬間、カシャッと胸の中でシャッター音が鳴る。
できることなら今を切り取って、心の奥に焼き付けておきたいと思う。好きなときにいつでも取り出して眺められるように。
その笑顔がいつまでも色褪せないことを願いながら、俺も彼女に微笑み返した。