HAPPY CLOVER 4-学園祭に恋して-
私はここから抜け出すために先生の背を押したが、壁から突き出た腕の力が強くて、先生はその場から一歩動くのがやっとだった。
壁の向こうでは男子の言い争うような声が大きくなっている。
熱気は数秒後、狂気に変わった。
ビリッという異音が聞こえたかと思うと、ミシミシという木が軋む音が続き、最後は「うおぉ!」という男子の叫び声が響いた。
同時に腕の呪縛から解放され、私たちはほとんど這いつくばるようにして危険地帯を抜けた。
振り返ってみると、綾香先生側の壁が通路側へ倒れ、腕を出していた男子たちは前につんのめる姿勢で折り重なっていた。
その無様な格好を見て綾香先生はプッと噴き出す。
「あーあ、壊れちゃったよ」
腕を出すためのダンボール紙部分は無残に破れ、壁のベニヤ板は途中から割れていた。
この中でいち早く我に返った男子は田中くんだった。
「やべぇよ。清水に怒られる!」
そう言いながら通路を逆走し、お化け屋敷全体に行き渡るような大声を上げた。
「すいません。壁が倒壊しました。お化け屋敷は一旦閉鎖します」
私たちの後ろから来た客が、文句を言いながら入り口へ戻っていく。
囚人のような格好をした男子たちは「お前が押したから」「いやお前が突っ込んできたんだろう」と小競り合いを繰り広げていた。
そこへ冷静な足音が聞こえてきて、急にしんとなる。この足音には聞き覚えがあると思う間もなく、通路にその人の姿が現れた。
「最初にあれほど注意したはずだ」
怒りを抑えたその声に、私の後頭部がぞくりと震えた。
ひやりとしながら倒壊した壁の前にたたずむ男子たちを見ると、みんなまるで刑の執行を待つ囚人のような表情でうな垂れている。
清水くんは事故現場へ歩み寄ると、割れたベニヤ板の破片を手に取った。
「今から直しても、閉会時間に間に合うかどうか……」
深いため息が、清水くんの心情を雄弁に語る。裏方の男子は私がいたたまれなくなるほどにしょげていた。
暗い現場が最悪の雰囲気になったところへ新たな足音が近づいてきた。
「こっち、こっち」
どうやら田中くんが担任を連れてきたらしい。
「おお、ずいぶん派手に壊したな」
「すみません。私が悪いんです」
突然綾香先生がすっくと立ち上がり、私たちをかばうように進み出た。担任は驚いたように綾香先生を見つめ、それから言った。
「誰が悪いということもないでしょう。強いて言えば設計ミス。だが、清水はこういう事態も想定して補強を入れていたわけだし、それでも壊れたのならもう仕方のないことだね」
低く柔らかい声で淡々とそう言い切られると、誰もなにも言えなくなってしまった。立ちつくす綾香先生の背中が寂しそうだ。
重苦しい空気の中「じゃあ、ちょっと早いけど店じまいするぞ」という担任の呼びかけが響いた。
みんながのろのろと動き始めたのに、清水くんはひとりだけその場から動こうとしない。私は不安になって、彼の表情を確かめるために首を伸ばした。
――まさか、泣いてないよね?
ドキドキしたけれども、清水くんは泣いてなどいなかった。でもやるせない表情で壊れたベニヤ板を凝視していて、その様子は私の心を一瞬でぺしゃんこにした。
「清水くん。私、直すよ」
綾香先生が清水くんの前に立つ。
「いや、もういい……です」
清水くんは頑なに視線をベニヤ板に落としたままだ。
見知らぬ同級生のケンカのせいで、ひしゃげた私のロッカーの扉を直してくれた清水くんの姿が脳裏によみがえる。急に、なにかしなくてはならない、と思い立った。しかし直すという提案は却下されたばかり……。
――清水くん。
結局私には落ち込む清水くんの背中を見つめることしかできなかった。
壁の向こうでは男子の言い争うような声が大きくなっている。
熱気は数秒後、狂気に変わった。
ビリッという異音が聞こえたかと思うと、ミシミシという木が軋む音が続き、最後は「うおぉ!」という男子の叫び声が響いた。
同時に腕の呪縛から解放され、私たちはほとんど這いつくばるようにして危険地帯を抜けた。
振り返ってみると、綾香先生側の壁が通路側へ倒れ、腕を出していた男子たちは前につんのめる姿勢で折り重なっていた。
その無様な格好を見て綾香先生はプッと噴き出す。
「あーあ、壊れちゃったよ」
腕を出すためのダンボール紙部分は無残に破れ、壁のベニヤ板は途中から割れていた。
この中でいち早く我に返った男子は田中くんだった。
「やべぇよ。清水に怒られる!」
そう言いながら通路を逆走し、お化け屋敷全体に行き渡るような大声を上げた。
「すいません。壁が倒壊しました。お化け屋敷は一旦閉鎖します」
私たちの後ろから来た客が、文句を言いながら入り口へ戻っていく。
囚人のような格好をした男子たちは「お前が押したから」「いやお前が突っ込んできたんだろう」と小競り合いを繰り広げていた。
そこへ冷静な足音が聞こえてきて、急にしんとなる。この足音には聞き覚えがあると思う間もなく、通路にその人の姿が現れた。
「最初にあれほど注意したはずだ」
怒りを抑えたその声に、私の後頭部がぞくりと震えた。
ひやりとしながら倒壊した壁の前にたたずむ男子たちを見ると、みんなまるで刑の執行を待つ囚人のような表情でうな垂れている。
清水くんは事故現場へ歩み寄ると、割れたベニヤ板の破片を手に取った。
「今から直しても、閉会時間に間に合うかどうか……」
深いため息が、清水くんの心情を雄弁に語る。裏方の男子は私がいたたまれなくなるほどにしょげていた。
暗い現場が最悪の雰囲気になったところへ新たな足音が近づいてきた。
「こっち、こっち」
どうやら田中くんが担任を連れてきたらしい。
「おお、ずいぶん派手に壊したな」
「すみません。私が悪いんです」
突然綾香先生がすっくと立ち上がり、私たちをかばうように進み出た。担任は驚いたように綾香先生を見つめ、それから言った。
「誰が悪いということもないでしょう。強いて言えば設計ミス。だが、清水はこういう事態も想定して補強を入れていたわけだし、それでも壊れたのならもう仕方のないことだね」
低く柔らかい声で淡々とそう言い切られると、誰もなにも言えなくなってしまった。立ちつくす綾香先生の背中が寂しそうだ。
重苦しい空気の中「じゃあ、ちょっと早いけど店じまいするぞ」という担任の呼びかけが響いた。
みんながのろのろと動き始めたのに、清水くんはひとりだけその場から動こうとしない。私は不安になって、彼の表情を確かめるために首を伸ばした。
――まさか、泣いてないよね?
ドキドキしたけれども、清水くんは泣いてなどいなかった。でもやるせない表情で壊れたベニヤ板を凝視していて、その様子は私の心を一瞬でぺしゃんこにした。
「清水くん。私、直すよ」
綾香先生が清水くんの前に立つ。
「いや、もういい……です」
清水くんは頑なに視線をベニヤ板に落としたままだ。
見知らぬ同級生のケンカのせいで、ひしゃげた私のロッカーの扉を直してくれた清水くんの姿が脳裏によみがえる。急に、なにかしなくてはならない、と思い立った。しかし直すという提案は却下されたばかり……。
――清水くん。
結局私には落ち込む清水くんの背中を見つめることしかできなかった。