HAPPY CLOVER 4-学園祭に恋して-
「あのさ、今日は放課後残ってほしいんだけど」
帰りのホームルームが終わる寸前、俺は誰にも気づかれないように細心の注意を払いつつ、舞に囁いた。
「え、でも電車の時間が……」
「家に電話すれば大丈夫じゃない? ケータイあるんだし」
舞は俺の提案に対して目をぱちくりとさせ、肯定とも否定ともつかない、斜めに首を振るという返答をした。
――なにそれ。
思わず俺も目を丸くした。
ガタガタと椅子や机が動く音がして、クラスメイトは一斉に立ち上がる。さようならの礼だ。俺も慌てて立ち上がった。黒板の前には綾香先生の姿も見える。
「清水! 掃除が終わり次第、職員室に来なさい。学校祭の企画書の件で修正してもらいたい部分がある」
礼が終わった後、担任は俺に向かって大声を張り上げた。仕方なく「はい」と返事をした。
すっかり企画書担当と見なされているのは納得行かないが、企画書の内容を熟知しているのは俺しかいない。たぶん他のヤツが担任から指示を受けたところで、内容を正確に理解できるとは思えなかった。
箒を動かしながら舞の動向を探る。
――鞄はあるけど、どこ行った!?
しばらくすると舞は高梨とともに教室へ戻って来た。
高梨は最後の授業には席に着いていたが、完全に机の上に突っ伏していた。先生に注意を受けると「具合が悪いけれども授業は聞いている」と堂々と言い訳をし、それがなぜか簡単に許された。確かに顔面蒼白な上、目の周りだけが激しく腫れ、彼女がついさっきまで泣いていたということは誰の目にも明らかだった。
その高梨も少しは元気が出たのだろうか。舞を引っ張るようにして廊下へ出て行った。
――おいおい、どこへ連れて行く。
掃除当番の任務を遂行しつつ、さりげなく二人の行き先を探ろうとしたが、廊下にはもう舞と高梨の姿は見当たらなかった。
舞が高梨と連れ立ってどこに消えたのか、そればかりを気にしながら俺は職員室に向かった。
常に開け放たれたままの職員室のドアを形式的にノックして「失礼します」と小声で言った。戸口付近には誰もいないし、大声を張り上げても返事をしてくれる人はいない。
スタスタと目的地へ向かって進んでいくと、担任の机がある島に綾香先生の姿が見えた。
綾香先生は背筋をピンと伸ばして、真剣な表情で指導教員の話を聞いている。どこから見ても隙のない美しさだな、と思った。
そこに教頭が近づいてきた。
黒縁眼鏡をかけて、いかにも堅物そうな教頭は、綾香先生の前で立ち止まる。そして不意ににこやかな顔で話しかけると、彼女にせんべいの小袋を差し出した。
――え?
俺は自分の目を疑った。
――なんなんだ。教頭って暇なのか!?
対する綾香先生は恐縮しながらそのせんべいを受け取った。
なんというか、見ている俺まで心が洗われるような光景だ。これがせんべいでなければもっと美しいのに。心の中で教頭に向かって「もっとシャレたお菓子を渡せ」と叫ぶ。
「おい、清水。聞いていたのか?」
突然至近距離で担任の声がした。
「聞いていましたよ。消防からのお達しで照明付近の装飾は禁止」
「ふむ」
二の句が告げなくなった担任を密かに見下ろした。聖徳太子とまでは行かなくても、綾香先生を眺めながら担任の話を聞くことなど、俺には造作のないこと。ついでに言えば、脳内では舞と高梨が行きそうな場所を考えている。
綾香先生の様子をもう少し見ていたい気分だったが、用が済んだので職員室を後にした。
教室に戻ると室内は学校祭準備で活気に満ちていた。授業中は精気を失った抜け殻状態のクラスメイトたちが、息を吹き返したように忙しく働いている。
俺はリーダー格の菅原たちを呼んで、担任からの指示を伝えた。それから田中の作業を手伝おうと机の間を歩いていると、いきなり後ろから制服が引っ張られた。
振り向くと、しかめ面の堀内が俺を見上げていた。
「悪いな。清水にも迷惑かけてるみたいで」
「お前、何やってんだよ」
「マジに受け取らなくてもいいのに。アイツ、最近ちょっと情緒不安定なんだ」
「ふーん」
俺は急に気恥ずかしくなった。堀内と高梨の間にのみ存在する何かがチラッと見えた気がしたのだ。
「それで高梨はどこに行った?」
「たぶん図書室。でも少し放っておいてやってよ。話が終わったら教室に帰ってくるからさ」
堀内は自分の前髪を弄る。俺よりも数倍落ち着かない様子だ。
「わかった」
俺がそう答えると堀内は細い目を更に細くして笑った。いつものへらへらした笑い方ではなく、どこか心もとない笑顔を一瞬だけ見せたのだ。そしてすぐに前髪で表情を隠す。
堀内の席から離れ、田中が企画書と睨み合っている場所に到着したが、そこで俺は金槌を持ったまましばらくぼんやりしていた。
「清水、なんかあった?」
田中が不思議そうにこちらを見ている。
「なんでもない」
「あ、そう」
何の疑問も持たずにあっさりと作業に戻る田中の様子を眺めていると、開け放たれた戸口に女子二名が現れた。俺は反射的にそっちを見る。
――舞……!?
予想通り舞と高梨が並んで戻って教室へ帰ってきた。驚いたことに、高梨が比較的元気になっているのに、今度は舞の顔が青白く精彩を欠いている。
――どうなってんだよ!?
これは何かあったな、と直感が訴えるものの、クラスメイトがほぼ全員揃っている教室内では尋問することもかなわない。
だから俺は仕方なく作業に専念するふりをしながら、密かに舞の様子を観察し続けることにした。
帰りのホームルームが終わる寸前、俺は誰にも気づかれないように細心の注意を払いつつ、舞に囁いた。
「え、でも電車の時間が……」
「家に電話すれば大丈夫じゃない? ケータイあるんだし」
舞は俺の提案に対して目をぱちくりとさせ、肯定とも否定ともつかない、斜めに首を振るという返答をした。
――なにそれ。
思わず俺も目を丸くした。
ガタガタと椅子や机が動く音がして、クラスメイトは一斉に立ち上がる。さようならの礼だ。俺も慌てて立ち上がった。黒板の前には綾香先生の姿も見える。
「清水! 掃除が終わり次第、職員室に来なさい。学校祭の企画書の件で修正してもらいたい部分がある」
礼が終わった後、担任は俺に向かって大声を張り上げた。仕方なく「はい」と返事をした。
すっかり企画書担当と見なされているのは納得行かないが、企画書の内容を熟知しているのは俺しかいない。たぶん他のヤツが担任から指示を受けたところで、内容を正確に理解できるとは思えなかった。
箒を動かしながら舞の動向を探る。
――鞄はあるけど、どこ行った!?
しばらくすると舞は高梨とともに教室へ戻って来た。
高梨は最後の授業には席に着いていたが、完全に机の上に突っ伏していた。先生に注意を受けると「具合が悪いけれども授業は聞いている」と堂々と言い訳をし、それがなぜか簡単に許された。確かに顔面蒼白な上、目の周りだけが激しく腫れ、彼女がついさっきまで泣いていたということは誰の目にも明らかだった。
その高梨も少しは元気が出たのだろうか。舞を引っ張るようにして廊下へ出て行った。
――おいおい、どこへ連れて行く。
掃除当番の任務を遂行しつつ、さりげなく二人の行き先を探ろうとしたが、廊下にはもう舞と高梨の姿は見当たらなかった。
舞が高梨と連れ立ってどこに消えたのか、そればかりを気にしながら俺は職員室に向かった。
常に開け放たれたままの職員室のドアを形式的にノックして「失礼します」と小声で言った。戸口付近には誰もいないし、大声を張り上げても返事をしてくれる人はいない。
スタスタと目的地へ向かって進んでいくと、担任の机がある島に綾香先生の姿が見えた。
綾香先生は背筋をピンと伸ばして、真剣な表情で指導教員の話を聞いている。どこから見ても隙のない美しさだな、と思った。
そこに教頭が近づいてきた。
黒縁眼鏡をかけて、いかにも堅物そうな教頭は、綾香先生の前で立ち止まる。そして不意ににこやかな顔で話しかけると、彼女にせんべいの小袋を差し出した。
――え?
俺は自分の目を疑った。
――なんなんだ。教頭って暇なのか!?
対する綾香先生は恐縮しながらそのせんべいを受け取った。
なんというか、見ている俺まで心が洗われるような光景だ。これがせんべいでなければもっと美しいのに。心の中で教頭に向かって「もっとシャレたお菓子を渡せ」と叫ぶ。
「おい、清水。聞いていたのか?」
突然至近距離で担任の声がした。
「聞いていましたよ。消防からのお達しで照明付近の装飾は禁止」
「ふむ」
二の句が告げなくなった担任を密かに見下ろした。聖徳太子とまでは行かなくても、綾香先生を眺めながら担任の話を聞くことなど、俺には造作のないこと。ついでに言えば、脳内では舞と高梨が行きそうな場所を考えている。
綾香先生の様子をもう少し見ていたい気分だったが、用が済んだので職員室を後にした。
教室に戻ると室内は学校祭準備で活気に満ちていた。授業中は精気を失った抜け殻状態のクラスメイトたちが、息を吹き返したように忙しく働いている。
俺はリーダー格の菅原たちを呼んで、担任からの指示を伝えた。それから田中の作業を手伝おうと机の間を歩いていると、いきなり後ろから制服が引っ張られた。
振り向くと、しかめ面の堀内が俺を見上げていた。
「悪いな。清水にも迷惑かけてるみたいで」
「お前、何やってんだよ」
「マジに受け取らなくてもいいのに。アイツ、最近ちょっと情緒不安定なんだ」
「ふーん」
俺は急に気恥ずかしくなった。堀内と高梨の間にのみ存在する何かがチラッと見えた気がしたのだ。
「それで高梨はどこに行った?」
「たぶん図書室。でも少し放っておいてやってよ。話が終わったら教室に帰ってくるからさ」
堀内は自分の前髪を弄る。俺よりも数倍落ち着かない様子だ。
「わかった」
俺がそう答えると堀内は細い目を更に細くして笑った。いつものへらへらした笑い方ではなく、どこか心もとない笑顔を一瞬だけ見せたのだ。そしてすぐに前髪で表情を隠す。
堀内の席から離れ、田中が企画書と睨み合っている場所に到着したが、そこで俺は金槌を持ったまましばらくぼんやりしていた。
「清水、なんかあった?」
田中が不思議そうにこちらを見ている。
「なんでもない」
「あ、そう」
何の疑問も持たずにあっさりと作業に戻る田中の様子を眺めていると、開け放たれた戸口に女子二名が現れた。俺は反射的にそっちを見る。
――舞……!?
予想通り舞と高梨が並んで戻って教室へ帰ってきた。驚いたことに、高梨が比較的元気になっているのに、今度は舞の顔が青白く精彩を欠いている。
――どうなってんだよ!?
これは何かあったな、と直感が訴えるものの、クラスメイトがほぼ全員揃っている教室内では尋問することもかなわない。
だから俺は仕方なく作業に専念するふりをしながら、密かに舞の様子を観察し続けることにした。