私とトロンボーン
1
まずは、マウスピースが鳴るかどうかというところから始まった。
トロンボーンを手にして初日、同級生は引き続き同じ楽器をもって練習していたが、私は初めての金管楽器との対面だったのだ。
いくら息を入れてもすかーっという情けない息漏れしかしない。
見ているだけではわからなかったが、これはそう簡単に出来るような代物ではないらしい。
友人からいくつかアドバイスをもらった。
「唇を震わせるっていうか…?」
「思い切り吹いてみるといいよ」
その日、マウスピースが鳴るようになったのは、片づけを開始する10分前程のころだった。
次の日も、その次の日も、練習に励んだ。
しかし、楽譜の練習はしばらくお預けだ。
音階を基本に、ロングトーンの練習ばかりをしていたのだ。
友人や六年生の先輩もつきあってくれて、ロングトーンの練習はなかなか楽しくできた。
中でもお気に入りの練習だったのが、メトロノームと音楽室内の段差を使ったロングトーンだった。
四つ数えるごとに段を一段降り、どこまで降りられるかを競うものだ。
今思えば、これもなかなか不公平なもので、トランペットもアルトホルンも、なにもかも一緒に競争するのだからたまったものじゃない。
どれだけ小さい音でもいいから、長く吹き続ける。
管の長さや太さの分、低音楽器がより多くの肺活量を要するのだ。
この勝負は不公平だろう。
五年生だった当時、私はこの練習で最後まで残ったためしがない。
悔しい思いもしたし、情けなく感じることもあった。
でも、それ以上に楽しかったのだ。
去年は黙って見ているしかなかったロングトーンの練習も、今は自分が参加出来ているのだから。
思っていたよりも難しく、友人達はこれを難なくクリアしていたんだと驚いた。
それに何より、トロンボーンは他の楽器と違ってピストンがない。
スライドを使って音を調整する。
その姿がとてもかっこよく感じられた。
いわば、「俺かっこいいだろ?」的自己陶酔である。
私が彼を選んだ理由だ。
つまり、「なんかかっこいい」から、だ。
今思えば、こんないい加減な理由で、よくも十八歳になるまで続けられたものだと感心してしまう。
かっこいい相棒がいれば、ただのロングトーンも楽しい毎日だったのだ。
・
トロンボーンを手にして初日、同級生は引き続き同じ楽器をもって練習していたが、私は初めての金管楽器との対面だったのだ。
いくら息を入れてもすかーっという情けない息漏れしかしない。
見ているだけではわからなかったが、これはそう簡単に出来るような代物ではないらしい。
友人からいくつかアドバイスをもらった。
「唇を震わせるっていうか…?」
「思い切り吹いてみるといいよ」
その日、マウスピースが鳴るようになったのは、片づけを開始する10分前程のころだった。
次の日も、その次の日も、練習に励んだ。
しかし、楽譜の練習はしばらくお預けだ。
音階を基本に、ロングトーンの練習ばかりをしていたのだ。
友人や六年生の先輩もつきあってくれて、ロングトーンの練習はなかなか楽しくできた。
中でもお気に入りの練習だったのが、メトロノームと音楽室内の段差を使ったロングトーンだった。
四つ数えるごとに段を一段降り、どこまで降りられるかを競うものだ。
今思えば、これもなかなか不公平なもので、トランペットもアルトホルンも、なにもかも一緒に競争するのだからたまったものじゃない。
どれだけ小さい音でもいいから、長く吹き続ける。
管の長さや太さの分、低音楽器がより多くの肺活量を要するのだ。
この勝負は不公平だろう。
五年生だった当時、私はこの練習で最後まで残ったためしがない。
悔しい思いもしたし、情けなく感じることもあった。
でも、それ以上に楽しかったのだ。
去年は黙って見ているしかなかったロングトーンの練習も、今は自分が参加出来ているのだから。
思っていたよりも難しく、友人達はこれを難なくクリアしていたんだと驚いた。
それに何より、トロンボーンは他の楽器と違ってピストンがない。
スライドを使って音を調整する。
その姿がとてもかっこよく感じられた。
いわば、「俺かっこいいだろ?」的自己陶酔である。
私が彼を選んだ理由だ。
つまり、「なんかかっこいい」から、だ。
今思えば、こんないい加減な理由で、よくも十八歳になるまで続けられたものだと感心してしまう。
かっこいい相棒がいれば、ただのロングトーンも楽しい毎日だったのだ。
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