恋するキミの、愛しい秘めごと
聞こえないように小さく息を吐き出して、口を開きかけたその時、隣から声が聞こえた。
「戻ろうとした南場さんを、俺が引き止めたんだよ」
その穏やかな声は、もちろんカンちゃんのもので、確かにそれは事実なんだけど。
目の前の篠塚さんの目元の筋肉が、あからさまにピクリと動いたのがわかったから、オトナな私は申し訳なさそうな笑みを浮かべて立ち上がる。
「いえ、篠塚さんの仰る通り少し休みすぎました。そろそろ戻ります」
これが女の社会で上手くやるコツだ。
“爽やかで従順な女の子”――そう見せかけるのが一番楽で、一番敵を作らない。
まぁ、ある意味“相手にする価値もない人”と思わているのかもしれないけれど、それでも構わない。
何より、カンちゃんとこの気の強いお姉さんのいざこざに巻き込まれなくないというのが、ムカッとしながらもこんな態度を取る一番の理由。
普通の女の子でさえちょっと嫌な気持ちになる“自分の彼が、他の女をかばう”というシチュエーションを、ブライドの高い篠塚さんが許すはずがない。
「お先に失礼します」
だから私は、これでもかというほど爽やかな笑顔を浮かべて二人に会釈をして、オフィスに向かう。
角を曲がる瞬間、チラリと二人の様子を窺うと、篠塚さんが喫煙スペースのスモーキングテーブルでタバコを吸っているのが見えた。
どこかイライラしたその様子に、ゴシップネタが大好きな小夜の言葉が浮かぶ。
――「篠塚さん、昇格試験落ちたらしいよー。しかもコンペも後輩の真中《まなか》ちゃんに負けたみたいだし」
つまり、さっきの言葉はヤキモチ半分、八つ当たり半分ってとこか。
まぁね、嫌なことが重なったんだろうね。
そう自分に言い聞かせてはいるものの、私だってモヤモヤした気持ちにならないわけじゃない。
篠塚さんは、正直なところ女子社員からはあまり好かれていなくて、ロッカールームに行くと、いつも彼女の悪口が飛び交っているくらい。
――だけどね。
なぜかそこまで彼女のことを嫌いになれないのは、きっとあの人がカンちゃんの彼女だからなのだと思う。
何だかんだ言いながら、私はカンちゃんのことを家族みたいに思っていて、そのカンちゃんが選んだ人なんだから、きっと悪い人じゃないんだろうって。
もしかしたら、そうであって欲しいという願望なのかもしれないけれど、とにかく何となく。
私が篠塚さんを嫌いになったら、きっとカンちゃんは悲しむんじゃないかな……とか思ったり。
一瞬だけ見えた、篠塚さんと話すカンちゃんの横顔はすごく穏やかで、そんな顔をさせるだけの何かが篠塚さんにはやっぱりあるのだろう。
「私ってば、イトコ想いのカワイコちゃん」
そんな冗談を口にしながらも、彼女の話に耳を傾けるカンちゃんのその顔が、知らない人の顔みたいに思えて……。
意味のわからない、疎外感に似た何かをこっそり感じながら、私は相変わらず慌ただしく人が動き回るオフィスの扉に手をかけた。