恋するキミの、愛しい秘めごと
「長谷川企画……ですか?」
「そうだね」
長谷川企画は、急成長中のH・F・Rとは真逆の、いわゆる老舗的なプロモーション会社。
カンちゃんの挙げたその社名を聞いて、私が不思議に思ったのにはワケがある。
「長谷川企画って、最近あまり大きな仕事はしていませんよね?」
ちょうど私がH・F・Rで働き始めたその年。長谷川企画では派閥争いによる内部分裂が起こった。
それは新聞などのメディアを一時賑わせた有名な話で。
情勢を読むことが出来た有能な社員はみんな去り、変わりに新しい会社を立ち上げ、それなりに大きな企業にまで成長させた。
そして残ったのは、古い考えを捨てられない、頭の硬い役員ばかりだった――と、部長から聞いた事がある。
それを思い出して首を傾げる私に、カンちゃんはやっと資料から上げた視線を向ける。
「最近、かなりやり手の社員を外資系の会社からヘッドハントしたって噂聞いたんだよ」
「それは……事実なんですか?」
思いがけない伏兵の登場に少し胸がざわついて、思わず眉根を寄せた。
「昔プロデュースした会社の人に、この前たまたま会ってさ。その時に聞いたから、多分本当だと思う」
「……」
「調べられた範囲でしか見てないけど、確かに最近ポツポツとデカい仕事を取り出してはいるんだよなー」
そう話すカンちゃんも、やはりその話をかなり気にしているようで、心なしかいつもよりも表情が硬い気がする。
「……」
どうしよう。
プレゼンの前は、いつも緊張するんだけど……。
鞄を持つ手が少しだけ汗ばんで、何だか唾も喉に支える感じだ。
だけど、突然知らされた事実に動揺する私の頭の上に、ポンと温かいものが乗せられて、
「ヒヨ」
かけられた声に顔を上げると、そこには私の顔を覗き込むカンちゃんの瞳が。
思いがけず近い距離に体を引こうとしたら、頭に添えられた手にそれを阻まれて、私を真っ直ぐ見つめるカンちゃんが笑いながら言ったんだ。
「俺、ヒヨと組んでからプレゼン負けなしって知ってた?」
「……はい」
それは知っている。
ここ数ヶ月、他社との競合コンペは勿論、社内コンペも全勝中のカンちゃん。
おかげで“宮様人気”は上がる一方だし。
おずおずと頷いた私に、「ヒヨの前で無様な姿は晒せないからな」と言ってフンッと笑う。
その言葉と仕草に、少しだけドキッとして……。
「絶対獲るから、心配なんてムダになるだけだぞ」
「わかりました。じゃー、全フロア獲得目指しましよう!」
小夜にはあんな風に言ったけれど、仕事中のカンちゃんを確かにカッコいいと思ってしまうしまう自分もいて、それがまた悔しい。
そんな事を考えていたら、無意識のうちに唇を尖らせていたらしく。
「何か不満気?」と笑ったカンちゃんだったけれど、次の瞬間にはスッとその目を細めて言ったんだ。
「昔から一緒にいるせいか、ヒヨの顔見てると、何か安心して緊張がほぐれるんだよ」
――それは。
「それは、遠回しに私の顔が“緊張感のない顔だ”と貶《けな》されているとみなしていいんでしょうか?」
なんて、ウソ。
「ちげーよ。あー……でも、そうかも」
本当はそうじゃないって解っているけれど、与野さんの事があってから、心のどこかでワザとカンちゃんとの距離を開けようとしている自分がいて……。
しかも小夜のあんな話の後だし。
わずかな動揺に気付かないフリをしながら、駅に着くまで、真っ暗な窓に映り込むカンちゃんの姿をボンヤリ眺めていた。