恋するキミの、愛しい秘めごと
「本当はハヤト」
「え?」
「あいつが呼びやすいからって、勝手に人の名前変えてるんだよ」
「なんだ。そうだったんですね」
「少し酔った」と、オン・ザ・ロックで日本酒を飲む榊原さんは、まん丸の氷が入ったロックグラスをカラカラ揺らしながら笑う。
その様子に少し見惚れてしまうのは、私も酔っているからなのか……。
「そう言えば、宮野さん遅いですね」
真っ直ぐな瞳から逃げるように話題を変えて、取り出した携帯に視線を落とした。
だって何か……。
ここまできて、榊原さんのカッコ良さを改めて意識してしまって、だけどせっかくここまで打ち解けたのだからと、それを打ち消す。
せっかく善意で誘ってくれた榊原さんに、こんな下心を持って接したらバチが当たるに違いない。
でも仕方がないんだよ。
考えてみたら、カンちゃん以外の男の人とこうして二人きりで飲むなんて久しぶりなんだもん。
心の中で言い訳をしながら視線を落とすカモフラージュの為の携帯には、メールが届いた様子も、電話がかかってきた形跡もない。
「そう言えば、随分遅いな」
榊原さんも壁にかかった柱時計を眺めながら、そう呟く。
もうお店に入ってから、かれこれ40分は経っていて、遅れるにしてもあまりに遅すぎる。
しかも、そういう所だけはきちんとしているカンちゃんが、連絡をしてこないというのも気にかかる。
本当にどうしたんだろう?
「ちょっと電話してみます」
榊原さんに断りを入れて立ち上がり、やっと入って来たお客さんの邪魔にならない所に移動し、電話をかけた。
「……」
耳にあてている携帯からは、相変わらず電子音が鳴り続けていて、やっぱり繋がらないかと諦めかけた時だった。
『――もしもし』
少しだけ掠れたような、カンちゃんの小さな声が聞こえた。
「……カンちゃん?」
まるで周りに気を遣うような小声に、私はつい眉根を寄せる。
会社にいるとしたら、カフェスペースか人のいない場所まで移動して話すだろうカンちゃんの、不可解な言動。
――だけど。
その理由を、次に続けられた彼の言葉で理解した。
『ごめん、ヒヨ』
「え?」
『今日、行けなくなった』
どことなく申し訳なさそうなカンちゃんに嫌な予感がして、携帯を握る手に無意識のうちに力が入る。
『仕事中に冴子が風邪で倒れたんだ。今医務室で寝てて……。起きたら、このまま家まで送ってく』
「……」
今が非常事態で、カンちゃんにとって篠塚さんは彼女なんだから、そうするのは当然――頭ではそれを理解しているはずなのに。
「わかった。こっちは大丈夫だから!」
『……』
「篠塚さんの家、川崎でしょ? それならうちに泊めてあげたらいいよ」
『は?』
「私、適当にどこか泊まってそのまま会社行くし」
こんな風に“ヒヨ”を演じながら、心のどこかで期待をしているんだ。
『それはしない』
「何で?」
『最初にヒヨと約束しただろ。冴子が落ち着いたら、俺も帰るし』
「こんな時まで、律儀にあんな約束守らなくていいから!」
篠塚さんの事を心配しながらでもいいから――カンちゃんが少しでも私の事を想って、あの夜みたいにヤキモチを妬いてくれたらって。
そんな、バカみたいで最低な事を期待している。
「榊原さんもいるし」
『おい、ヒヨ』
“恋をすると綺麗になる”なんて、絶対に嘘。
だってカンちゃんに恋をしてしまった私は、こんなに意地悪で――……
「だから大丈夫だよ、“お兄ちゃん”」
こんなに、醜い。