恋するキミの、愛しい秘めごと
あの日――榊原さんの部屋でキラキラの地球を見た日から、私の日常は少しずつ変わり始めた。
「ねぇ、もしかして今日もデート?」
「だから、別にデートとかじゃないから」
隣からコソコソと声をかけてくる小夜に苦笑しながら、私は帰り支度を整える。
「でも何かオシャレしてるし。あーあ、いいよねぇ、日和は」
「いつもと変わらないでしょ。じゃー、お疲れ様」
一週間から二週間に一度、こうして小夜の羨む声を背に受けながら定時で上がる日が出来た。
と言っても、きちんと仕事はしているし、スキルアップの為の努力だってちゃんとしているから、それを誰かに咎められる事もない。
「ちょっと遅くなっちゃった……」
少し切れた息を整え、手をかけたのは前田さんのお店のドア。
その引戸をカラカラ開けると、すっかり見慣れた大きな男の人が奥から顔を出した。
「今晩は」
「おー、南場チャン! シュンなら奥にいるよ」
「ありがとうございます」
ニコニコ笑う前田さんの前を通り過ぎ、初めてここに来た時と同じ、薄い布で仕切られたその席を覗き込むと、茶色い髪が見えた。
「今晩は。遅くなってすみません」
その声に振り返ったその人の、茶色い瞳が私に向けられ、わずかに細められる。
「平気だよ。俺もちょっと前に来たばっかりだし」
そう言って、目の前で笑うのは榊原さん。
「いつも言ってますけど、私が遅くなった時は先に飲み始めていていいですからね」
「んー、でも一緒に飲んだ方が楽しいし」
もうすっかり慣れた様子で、自分と私の分の日本酒を頼む榊原さんに、思わず笑みが漏れる。
「あれ? 違うのが良かった?」
「いえ、いつも通り越乃寒梅の気分です」
それに「駆けつけ一杯が日本酒って凄いよね」と笑われるけれど、美味しい物は美味しいんだから仕方ない。
「駆けつけ一杯って、身体に染み込むから美味しいのがいいんです」
乾杯をして、前田さんが持ってきてくれた、程よく冷えた日本酒を一口飲んでそう言うとまた笑われて。
何度会っても、榊原さんは最初の印象通りよく笑う人だった。
「そういえば、南場さんまた宮野のアシスタントについてるでしょ?」
「何で知ってるんですか?」
「こないだ駅ビルの打ち合わせで宮野に会って聞いたから」
カンちゃんとは相変わらず一緒に仕事をする事が多くて、会社でも家でもやっぱり一緒。
それでも前よりも、本当の“家族”に近づいているような気がする。
ちゃんと篠塚さんの話もするし、こうして私が榊原さんに会っている事もカンちゃんは知っている。
もちろん、前のような恋愛感情が全くなくなった――なんて言えないけれど……。
「そう言えば、今週末って何か予定ある?」
「いや、相変わらず暇にしてます」
「じゃー、どこか遊びに行かない?」
「いいですね! どこ行きましょうね」
やっぱり篠塚さんの話を聞いて、ちょっと淋しくなる時だってある。
それでも「少しずつ」って、そう思えるのは、目の前に座るこの人のおかげなのかもしれない。