恋するキミの、愛しい秘めごと
「さて、そろそろ行きますか」
「はい!」
お店に入って1時間半後。
榊原さんに続いて立ち上がり、前田さんに挨拶をしてお店を出た。
「やっぱりまだ寒いな」
空を見上げながら吐き出される榊原さんの息はまだ真っ白で、春が訪れるにはもう少し時間がかかりそうだ。
「でも星が綺麗に見えるから、私は冬って結構好きですよ」
首にマフラーを巻きながら笑うと、隣に並ぶ榊原さんも私を見下ろしながらにっこり笑った。
それからいつものようにタクシーに乗り込み、二人でいつもの場所に向かう。
「まだ火曜日なのに、すごい人ですよね」
「確かに。まぁ、俺たちも人の事言えないけどね」
窓の外を流れるこの景色を、こうして眺めるのは何度目だろう……。
もうすぐネオンが消えて、代わりに工業地帯のオレンジの灯りが見えてくるはず。
目的の場所は、そのもう少し先。
「だけど、いつもお邪魔して迷惑じゃないですか?」
「全然。同じ会社に年が近い人がいないから、南場さんと話すといい息抜きになるんだよ」
そう言って笑う榊原さんの奥にある窓越しに、真っ黒な内海が見えて来た。
あの日、初めてこの場所を訪れた時には気が付かなかったけれど、この場所は潮の香りが微かにする。
「こちらで宜しいですか?」
そんな運転手さんの声と共に車が静かに停止して、外に出ると目の前にコンクリートの四角い建物が立っている。
この場所が、いつもの到着地点。
「いっそのこと、合鍵でも作ろうか」
楽しそうに冗談を口にしながら、ドアを開けて中に入る榊原さんに「いや、いらないです」と冗談を返す。
これももう何度目かのやり取りだから、お互い特に突っ込む事もなく。
部屋に入ると、まだカーテンが開いたままになっていて、大きな窓越しに工場の灯りが見えた。
「ここから見える景色も、その地球に似てますよね」
窓辺に立ってポツリと呟いた言葉に、榊原さんは「南場さんらしいね」と言って、いつものように大きな球体に明かりを灯した。
ここは、榊原さんの部屋。
一緒にお酒を飲んで、食事をした日はこうして必ずここにやって来る。
「飲み物、何がいい?」
「あ、すみません。私もお手伝いします」
パタパタとキッチンに駆け寄ると、ちょっとだけ嬉しそうに笑う榊原さんに頭を撫でられて、「向こうで地球見てて」と背中を押された。
仕方が無いから元いた場所にすごすご戻り、ソファーに腰をおろして“地球の観察”を始める。
「よく飽きないね」
しばらくして戻ってきた榊原さんが、クスクスと笑いながらテーブルに温かいお茶の入ったカップを置いて、隣に座った。
――少し前まで、こんな風に私の隣にいたのはカンちゃんだけだったのに。
「飽きませんよ。家に同じ物が欲しいくらいです」
「んー、それはダメ」
「どうしてですか?」
「だって、そしたら俺んち来てくれなくなっちゃうでしょ?」
「来ますよ……多分」
「あはは! 多分、ね」
今は、カンちゃんの隣にいると少しだけ息が詰まるんだ。
とはいえ、榊原さんとも“そういう関係”なわけじゃない。
付き合っているわけでもないし、身体の関係があるわけでもない。
“友達”とはまた違うけれど、“仕事上付き合いのある人”と言うほど遠くもない、不思議な関係。
それでも、カンちゃんと少し距離を置くようにしている私にとっては、この人が今の“一番近い存在”なのかな……。