スーツを着た悪魔【完結】

物心ついた時から父親はいない。おぼろげな記憶があるだけ。

男嫌いなのかと言われたこともあるし、自分でもそう思ったことがある。


ただ、まゆは「今」を「毎日」を生きるのに必死で、恋愛どころではなかったのだ。

そして、自分に恋愛をする資格は必要ないと思っていた。



三年前のファーストキスは深青だった。
二度目のキスも、深青。

ただそれは恋愛じゃない。事故に過ぎない。


豪徳寺深青のように、恵まれた人生を謳歌している人と私は違う。

恋愛は人生に余裕がある人間が楽しむもので、生きるためのものじゃない。

恋をしなくても人は死なない。



けれど、指先で撫でられただけの手の甲はいつまでも熱い。熱が引かない。


この人からは天然のフェロモンが出ているに違いない……。


その熱を振り切るように、手のひらの下の、上等なスーツの生地の触感に意識を集中させる。


これは恋愛じゃない。

あくまで演技で……


そう。恋人のフリだから――このままでいいんだ。




< 104 / 569 >

この作品をシェア

pagetop