もう、ひとりにしない。
わたしも兄も容貌は日本人のそれとほぼ変わらなかったが、空色の瞳だけが父を受け継いだ。
両親はわたし達を日本のローカル・スクールに入れるつもりはなく、アメリカン・スクールに通わせていた。
いつか海外へ二人は出てしまうであろう、ことを想定してのことだった。
しかし、家の中では日本語で生活させられ徹底して正しい日本語の使い方を刷り込まされた。
私が日本語を話すことを知った彼は自分も話ができるようにと特訓を積んでいた。
二人が恋人同士となってからは、二人だけのコミュニケーションツールとして日本語をよく使ったものだ。