カノンとあいつ
夢のつづき
――☆―― ――★―― ──☆──
私達のデートは、決まってあいつの遅刻から始まった。
そのくせ、いつもニヤニヤして近づいて来る。
出逢った頃はすねたり怒ったりしたけど、私にとって、准を待つ間のその数十分は、とても満たされたキラキラした時間だった。
大切な事は、大抵後になってから気が付く。
…っ、来た!
──────ф────
───ф───────
───────────────ф
「何がそんなに嬉しいわけ?」
「クリスマスだろ?…今日」
「馬鹿じゃない? 昨日花見に行きたいって言ってたよね?」
「花見?……誰が?」
「もういいよ、…で、どうする?」
「どうって?」
「お腹空いてる?」
「な、鞄貸しなよ………
俺持つよ」
「ねえ、聞いてる?」
「あァ」
鞄を取り上げ、たすきに掛ける准の顔を、口を片方だけ曲げて覗き込む。
「わたし腹ぺこなんだけどナ?」
「あァ…」
………………? ?
何かおかしい………。
仕事帰りに待ち合わせている筈なのに………
准の格好……
……何で?
「君が前に言ってた、…ほら、パスタの旨い店?
……この辺じゃなかった?」
“君”?
“パスタ”…?
ねえ、どうかした?
─と言いかけて、思わず言葉を呑み込む。
── 直感する。
頭をもたげようとする、記憶と現実の不条理な軋轢(あつれき)は、多分私をこの場所から、いとも容易く放擲しうるものだ ──と。
それはとても恐ろしい瞬間だった。
───── ф ────
ずんずん進んで行く准の背中をぼんやり見ていると、不思議な気持ちになる。
でもその違和感は、もう私に何かを問うことをやめていた。
私達はまるで、音も無く湖面を渡る仙人のように、騒がしい陋巷(ろうこう)の雑踏を、まるで滑るようにすり抜けて行った。
気が付くと、道の両脇には商店も疎らで、そのひとつひとつからは一様に、淡い桃色の光が路面へと漏れ出している。
人影は無い。
鬱蒼と繁る木々は次第に、等間隔に灯るその淡い光を、より疎らに点在させてゆく。
そうだ…………
私には分かっている。
やはり此処は…………
あの森……なのだ。
私が就職の内定を貰えずに煮詰まっていた時、あいつが連れて行ってくれた高野山の奥の院。
多分、私達はそこに向かって歩いている。
あの日も、黙々と歩き続ける私達に言葉は無かった。
どこに辿り着くのか、何をしようとしているのか……。
私達が日常で繰り返してきた些細な問い掛けも、ここに在る雄弁な静寂の前では、唯の愚問にしか聴こえて来ない。
湿った腐葉土の匂いは、既視感をたっぷりと湛え、目の前を歩く准(じゅん)が、急に愛しくてたまらなく思えて来る。
駆け出して背中に飛び付きたくなる衝動は、あの時と全く同じものだ。
ジャンプして、飛び付いて、ヘッドロックして……
わかったよ…って言うまで、絶対に離してやらない。
………なんにも分かってないくせに ───。
〇 ○ ○ ○ 〇 〇
見ると、モスクのような形の、こじんまりとした建物を背に、准が微笑んでいる。
「ここなんだ………」
道の両脇に、私達の逢着を指南する桃色の灯りを失ってからというもの、しかしここの蒼い光だけは、決して私達を見失う事無く、ずっと輝いていてくれた。
後ろを振り向くと今来た径(みち)は既に消えていて、木々の隙間に夕映えの名残を見つけることはもう敵わない。
漆黒の森に浮かぶその瀟洒な建物は、見とれる程美しい光を発しながら、それでも、眩しさは少しも感じさせない。
これは……………
私はこの時に ───
夢を見ている自分をほんの少しだけ俯瞰する事が出来た ────
危うい眠りを呼び覚ましたりしないほどの、
── ほんのささやかな気付き ────