恋獄 ~ 囚われの花 ~【完】
五章
1.不穏な気配
8月下旬。
花澄は環とともに父の工房を訪れていた。
夏の箱根は蒸し暑く、湿気も虫も多い。
「花澄。そっちの藍甕の濃度を見てくれ」
「うん」
花澄は脇の棚からPH測定器を取り出し、先端を藍液の中につけた。
藍液はアルカリ性で、綺麗に染色させるためにはPHを10.5前後に保つのが望ましい。
これが熟練の職人になれば自らの目や鼻、そして舌で状態を判断できるようになるが、花澄も父の繁次もまだそこまでの域には達していない。
「11.2。もう少し下げた方がいいかな?」
「そいつは昨日、石灰を足したばかりだからな。少し様子を見ることにしようか」
「ん、わかった」
花澄はPH測定器を棚に戻し、竈の前にいる父を振り返った。
ちなみに環は奥の作業台で絞り染めに使う綿布を裁断している。
綿布は父が四国の綿問屋から仕入れている上質な物で、藍で染めるととても綺麗な色に発色する。
仕入れ値が高いためあまり利益は出ないが、こういうものを丹精込めて染め上げていくのが手染めの醍醐味でもある。
花澄は環の作業の様子を見ようと歩み寄ろうとした。
そのとき。