月のあかり
「ああ‥‥‥」
ぼくは多くを語らなかった。
会社を辞めることも、慢性的に体調を崩していることも彼女には一切言わなかった。
ただ濁したような返事で、自分の意志を通達した。
※
《相応しい存在》
そんな拘りは、決してぼくの一方的なものではなかった。
模写や贋作ではなく、鏡で映したようなまったく同じ思いが、彼女の心の片隅にも微かに存在していたはずだろう。
それがぼくの勇み足な推測であったとしても、満央の中で高梨の存在が次第に大きなものになりつつあることは、どんなに鈍感なぼくにでも手に取るように分かる事実だった。
父兄のような密接な心情。
寛大で寛容な愛情。
現実に肉親や親類ではないぼくが、そんな聖人を気取った大局の愛を語っていたこと自体、本当は刃物のように鋭利で、貪るように求める野蛮な情愛の正体を、偽装し隠蔽する為の詭弁だったのかも知れない。
ぼくは今でも、彼女のことを壊してしまいたいぐらい好きなのだ。
それなのに互いの引力に狂いが生じ、軌道を外れた惑星が遠ざかって行くように、ぼくらの心は暗闇を彷徨い始めていた。
※
「ごめんね、満央」
満央は受話器の向こうで泣いていた。