月のあかり
 
 一晩だけ部屋の中に入れてあげたあのとき以来、この猫の姿を見掛けることはなかったし、正直その存在すら忘れていた。
 ヒメは、ぼくの差し出した腕に戯れるように纏わり付いたあと、袖を摘むようにくわえて引っ張った。
 
「どうした?」
 
「にゃあ」
 
 くわえていた袖を離すと、踵を返してドアの隙間を擦り抜け、廊下へ飛び出した。
 
「ちょっと待てよ」
 
 ぼくも突っ掛けを履いて廊下に出た。
 ヒメはチラリと振り向きぼくを見ると、誘うように廊下を走りだした。
 
「待てって」
 
 ヒメは猫科の動物独特の身のこなしで俊敏に階段を駆け上がり、屋上へ通じる鉄柵の扉の前で、追随するぼくの到着を待っていた。
 
 扉には南京錠が掛かっている。
 
 屋上に登ることも、この南京錠に手を触れることも、やはり満央と来たとき以来のことだった。
 
 二人だけの展望台。
 
 壊れていても、満央と愛を誓い合って付けたこの南京錠。
 
 まだこの鍵は開くのだろうか?
 
 引き抜くように強く引っ張ると、カチンと音がした。
 
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