いつかその時まで
サボった授業の課題を図書室で終えると、最終下校時刻になってしまっていた。
閉館を告げに来た司書さんは私の顔を見て「あ」と声をあげた。
「貴女、安藤さんでしょ?
この前うちの図書館に入った文芸誌に写真小さく載ってたでしょ!」
教材を鞄にしまっていた私は一瞬驚いたが、直ぐに頷いた。
今年の初めに文芸誌に投稿した小説が優秀賞をとり、購読していた雑誌に掲載して貰えたのだ。
あの雑誌を図書館で買っていたことも意外だったし、うちの学校の生徒だと司書さんが気付いてくれるとも思わなかった。
「すごいのね、小学生の頃から投稿やってたんだって?
受賞したのは何回くらいなの?」
「初めての受賞が小5だったんで、それから今回まで7回です。」
そんな話をしていたら、残っていた他の司書さんや国語科の教員がやって来た。
丁度図書館前を通りかかった野球部の男子たちもドヤドヤと入って来て、私の作品が掲載された雑誌を広げて賑やかな時間が流れた。
校門から出ると大きな溜息をつく。
図書館で一緒になった吾妻君と一緒に下校することになった。
「疲れた?」
笑いながら聞かれ、私も明るい声で「うん」と答えた。
人に囲まれるのも、人と話すのも、すごく久しぶりだった。
「俺、安藤が小説書いてること知らなかった。」
吾妻君が頬を掻きながら言う。
「言ってないもん、誰にも。
別にすごいことでも何でもないし。」
誰からも認めて貰えない趣味だったから、自分でもあまり誇ったことがなかった。
文学賞なんて、作文コンクールのような真面目で堅いイメージしかないのだ。
それを自慢したら尚更敬遠されると思っていた。
「でもすごいよ、7回も。
しかも雑誌にまで載るなんてさ!」
吾妻君はまるで自分のことかのように興奮してくれている。
思わず私まで嬉しくなった。
「雑誌に載ったの、初めてじゃないよ。
小5の時に名前と作品名が大きく載ったが最初。
中1の時には協会から出るアンソロジーに作品が掲載されて発売されて。
中3の時には受賞作が協会の広報に載って。
あと毎年無料配付される小冊子にも寄稿してた。」
今まで誰にも言わなかったちょっとした自慢を、吾妻君にしてみた。
彼は妬まず、敬遠せず、純粋に私のことを褒めてくれた。
少しだけ嬉しかった。
翌朝。
廊下を歩いていると正面から勢いよく走ってきた女子とぶつかった。
壁際を歩いていた私は壁になんとか寄り添って転ばなかったが、相手側は勢いづいていた分派手に転んだ。
相手の肘が当たった腹部が痛くて、思わず押さえながら苛ついた。
この構図じゃ私が悪いみたいじゃないかと思った。
転んだ相手が顔を上げた時に思わず「げ」と声が漏れてしまう。
つい先日私の机を上履きで踏んだ清水だった。
「いたーい。謝ってよ。」
大袈裟に大声で清水は言う。
それだけの声が出るなら平気だろうと思いながら、私は顔を顰めた。
「ぶつかってきたの、そっちじゃん。」
強気にそう言った。
いつもなら飲み込む言葉が口から何の躊躇いもなく出た。
清水が驚いたように此方を見るのが分かる。
「それよりも、私の机踏んだこと謝ってよ。」
私がそう続けると、清水は悔しそうに唇を噛んで起き上がると、また走って廊下の隅へと消えて行った。
「安藤って意外に強いんだな。」
あちこちからそんな声が聞こえてきた。
それを悪く捉えることなく、私は自分の教室へと入る。
吾妻君も渡辺君もまだ登校していなかったけれど、それでも教室の隅で心穏やかに過ごすことにした。
その日の2限目、移動教室から戻って自分の席へ行くと、机の上に埃がたくさん置かれていた。
言い返したのがつい先刻だ。
誰がやったのかなんて直ぐに分かった。
私はティッシュで埃を包むと横目で此方を睨んでいた清水の席へ行く。
「これ、返すね。」
ティッシュを清水の机の上で広げると、埃は彼女の目の前で舞った。
清水だけでなく、教室中がギョッとするのが分かった。
女子たちと穏やかに会話をしていた渡辺君が慌てたように此方へやって来て、私の腕を掴んだ。
「安藤、お前何やってるんだよ。」
大声で怒鳴られ、身がすくんだ。
「だって、清水さんが私の机に埃なんて積むから…」
私が弁解する間もなく、清水が泣き出すのが分かった。
――泣きたいのはこっちだ。
罪悪感に駆られることができなかった私は、仕方なく渡辺君を睨み付けた。
渡辺君も怒ったように私を睨んでいた。
「やられたらやり返して何が悪いの?
私は嫌がらせを黙って我慢してないといけないの?」
清水の机をバンと叩くと、清水の肩が跳ね上がるのが分かった。
「『自分が自分のままでいて何が悪い』って言ったのは安藤さんだろ!
安藤さんは人の嫌がることなんて絶対にしないだろ!」
渡辺君に言われ、つい先日2人で過ごした静かな時が思い出される。
どうして1日でこんな態度を急変されなきゃいけないんだ。
逃げ出すな、そう言われたばかりだったのに、私はやはり教室を飛び出した。
皆が言う正しさがどうしても理解できない。
自分がやっていることが間違っているなんて思えない。
だから私は「普通」じゃないのだろうか。
閉館を告げに来た司書さんは私の顔を見て「あ」と声をあげた。
「貴女、安藤さんでしょ?
この前うちの図書館に入った文芸誌に写真小さく載ってたでしょ!」
教材を鞄にしまっていた私は一瞬驚いたが、直ぐに頷いた。
今年の初めに文芸誌に投稿した小説が優秀賞をとり、購読していた雑誌に掲載して貰えたのだ。
あの雑誌を図書館で買っていたことも意外だったし、うちの学校の生徒だと司書さんが気付いてくれるとも思わなかった。
「すごいのね、小学生の頃から投稿やってたんだって?
受賞したのは何回くらいなの?」
「初めての受賞が小5だったんで、それから今回まで7回です。」
そんな話をしていたら、残っていた他の司書さんや国語科の教員がやって来た。
丁度図書館前を通りかかった野球部の男子たちもドヤドヤと入って来て、私の作品が掲載された雑誌を広げて賑やかな時間が流れた。
校門から出ると大きな溜息をつく。
図書館で一緒になった吾妻君と一緒に下校することになった。
「疲れた?」
笑いながら聞かれ、私も明るい声で「うん」と答えた。
人に囲まれるのも、人と話すのも、すごく久しぶりだった。
「俺、安藤が小説書いてること知らなかった。」
吾妻君が頬を掻きながら言う。
「言ってないもん、誰にも。
別にすごいことでも何でもないし。」
誰からも認めて貰えない趣味だったから、自分でもあまり誇ったことがなかった。
文学賞なんて、作文コンクールのような真面目で堅いイメージしかないのだ。
それを自慢したら尚更敬遠されると思っていた。
「でもすごいよ、7回も。
しかも雑誌にまで載るなんてさ!」
吾妻君はまるで自分のことかのように興奮してくれている。
思わず私まで嬉しくなった。
「雑誌に載ったの、初めてじゃないよ。
小5の時に名前と作品名が大きく載ったが最初。
中1の時には協会から出るアンソロジーに作品が掲載されて発売されて。
中3の時には受賞作が協会の広報に載って。
あと毎年無料配付される小冊子にも寄稿してた。」
今まで誰にも言わなかったちょっとした自慢を、吾妻君にしてみた。
彼は妬まず、敬遠せず、純粋に私のことを褒めてくれた。
少しだけ嬉しかった。
翌朝。
廊下を歩いていると正面から勢いよく走ってきた女子とぶつかった。
壁際を歩いていた私は壁になんとか寄り添って転ばなかったが、相手側は勢いづいていた分派手に転んだ。
相手の肘が当たった腹部が痛くて、思わず押さえながら苛ついた。
この構図じゃ私が悪いみたいじゃないかと思った。
転んだ相手が顔を上げた時に思わず「げ」と声が漏れてしまう。
つい先日私の机を上履きで踏んだ清水だった。
「いたーい。謝ってよ。」
大袈裟に大声で清水は言う。
それだけの声が出るなら平気だろうと思いながら、私は顔を顰めた。
「ぶつかってきたの、そっちじゃん。」
強気にそう言った。
いつもなら飲み込む言葉が口から何の躊躇いもなく出た。
清水が驚いたように此方を見るのが分かる。
「それよりも、私の机踏んだこと謝ってよ。」
私がそう続けると、清水は悔しそうに唇を噛んで起き上がると、また走って廊下の隅へと消えて行った。
「安藤って意外に強いんだな。」
あちこちからそんな声が聞こえてきた。
それを悪く捉えることなく、私は自分の教室へと入る。
吾妻君も渡辺君もまだ登校していなかったけれど、それでも教室の隅で心穏やかに過ごすことにした。
その日の2限目、移動教室から戻って自分の席へ行くと、机の上に埃がたくさん置かれていた。
言い返したのがつい先刻だ。
誰がやったのかなんて直ぐに分かった。
私はティッシュで埃を包むと横目で此方を睨んでいた清水の席へ行く。
「これ、返すね。」
ティッシュを清水の机の上で広げると、埃は彼女の目の前で舞った。
清水だけでなく、教室中がギョッとするのが分かった。
女子たちと穏やかに会話をしていた渡辺君が慌てたように此方へやって来て、私の腕を掴んだ。
「安藤、お前何やってるんだよ。」
大声で怒鳴られ、身がすくんだ。
「だって、清水さんが私の机に埃なんて積むから…」
私が弁解する間もなく、清水が泣き出すのが分かった。
――泣きたいのはこっちだ。
罪悪感に駆られることができなかった私は、仕方なく渡辺君を睨み付けた。
渡辺君も怒ったように私を睨んでいた。
「やられたらやり返して何が悪いの?
私は嫌がらせを黙って我慢してないといけないの?」
清水の机をバンと叩くと、清水の肩が跳ね上がるのが分かった。
「『自分が自分のままでいて何が悪い』って言ったのは安藤さんだろ!
安藤さんは人の嫌がることなんて絶対にしないだろ!」
渡辺君に言われ、つい先日2人で過ごした静かな時が思い出される。
どうして1日でこんな態度を急変されなきゃいけないんだ。
逃げ出すな、そう言われたばかりだったのに、私はやはり教室を飛び出した。
皆が言う正しさがどうしても理解できない。
自分がやっていることが間違っているなんて思えない。
だから私は「普通」じゃないのだろうか。