いつかその時まで
渡辺君はいつだって私が悲しい気持ちになっていると来てくれる。

何処からともなく涼しげな表情でやって来て、何も感じていないとでもいうかのように無表情のまま、無愛想のまま、私を助けてくれる。



埃っぽい階段を咳き込みながら誰かが上って来るのが分かった。

渡辺君だ、と直感的に分かった。

手すりを頼りに姿を現した渡辺君から、私は慌てて視線を逸らした。

「毎回毎回…よくこんなところ見つけられるな。」

渡辺君は呆れたように言いながら、私より五段下のところに腰を下ろした。

先日この穏やかな人から私委は本気で怒鳴られた。

そう思うとどんな顔をすれば良いのか分からなかった。

暫く無言が続いた。

渡辺君は何度か咳き込みながら胸を軽くさする。

「風邪?」

訊ねると、彼は少しだけ私を見上げ、「軽く」とだけ答えた。

旧校舎の階段なんて寒いのだから、わざわざ迎えに来なくても良かったのに…と心の中で思ってしまった。

「安藤さん、何でも直ぐに諦めるよね。」

急に言われた。

渡辺君は胸をさすりながら俯いていた。

「……俺と仲良くすることも、もう諦めましたか。」

低い声で続けられ、私は答えに詰まった。

「風邪、大丈夫なの?」

そう言ったが、無視された。

どうやら答えなければいけないらしい。

正直、私はもう「諦めている」。

渡辺君に怒られたことはすごくショックだった。

渡辺君だけはどんなに私が間違っていても守ってくれる、なんて根拠のない自信がずっとあったから。

でも、こうやって探して貰えたら、面と向かっては言えない。


「清水が泣いてたのは、埃を机に乗せられたからじゃないよ。」

渡辺君は立ち上がり、私の方まで歩いて来た。

直ぐ横に腰を下ろされ、少しだけ驚く。

石鹸のような良い匂いがふわりとした。

「清水が泣いてたのは、安藤さんが本当に怒ってるって分かったからだよ。」

先日のことを思い出す。

でも、私は清水に1度も謝って貰ったことがない。

清水は私が何も言わないことを良いことに散々嫌がらせをしてきたじゃないか。

それを今更許せとでも言うのだろうか。

「俺、安藤さんが良い人だって知ってるから。だから、周りにも分かって欲しい。

周りに安藤さんが良い人って分かって貰う為に、ああいう言動は避けて欲しかったな。」

渡辺君は私の目を見て来る。

慌てて私は逸らしてしまう。

「私、良い人じゃないから…。

ずっと、皆のこと心の中で見下してたし。」

ボソッと可愛げのない言葉が口から滑り落ちる。

清水のことをずっと「不細工のクセに目立ちたがり」と思っていた。

自分が綺麗なことを良いことに、不細工な女の子達を自分より価値のないものだと決めつけていた。

そうやって自分を必死に守ろうとして来た。

私は良い人なんかじゃない。

「安藤さんが嫌な奴だったら、毎回こんなところまで探しに来たりしない。」

渡辺君はハッキリと強い口調でそう言った。



渡辺君と一緒に教室へ入ると、普段は厳しく当たってくる教員も今日は何も言わなかった。

私たちが席へ座るのを見届けて授業を再開させる。

吾妻君が私を振り返って軽く手を振ってくれた。

私も小さく会釈をする。

他の生徒は相変わらず私がいないかのように振る舞っていたが、私の机は今日は綺麗だった。



「安藤さんって、渡辺のこと好きなの?」

帰り。

図書室で再び鉢合わせた吾妻君と並んで校門を出た。

急に聞かれ、私は思わず裏返った声で「は?」と言ってしまう。

吾妻君は頬を掻きながら、「何となくそうかなーって思ったんだけど。」と言った。

気弱なクセに鋭いんだな、と少しだけ感心した。

「教えない。」

私がそう言うと、吾妻君は不服そうな表情を浮かべた。

「じゃあ、俺が付き合ってって言ったらどうしますか。」

そうさりげなく言われ、思わず足が止まる。

吾妻君は口を袖で隠しながら此方を見ていた。

「……付き合わない。」

私は小声で答えた。

吾妻君は一瞬だけ表情を変えたが、直ぐにいつもの笑顔に戻って「ですよねー」と笑った。

「安藤さん、plastic tree好きなんだって渡辺から聞いた。お勧めの曲ある?」

何事もなかったかのように話を再開され、私もついペースに巻き込まれた。

陽が暮れるのが早くなっていく。

今年が終わる前に。

2学期が終わる前に。

私は何ができるだろうか。


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