・*不器用な2人*・
after days
日野恵一の場合
日野恵一。
何で1人目じゃないのに一なんて名前が付くのか幼少期から激しく疑問だった。
俺が生まれて暫くして母親が家を出て行ってしまったせいで、我が家は完全に男系家族。堅苦しい父親とむさくるしい兄3人と、俺の5人で育った。
夕食の取り合いで大喧嘩になることなんて日常茶飯事で、その度に父親は重いフライパンと肉切り包丁を台所から持ち出して来て「これ以上騒いだら殺す!」と怒鳴っていた。なんかもうそれが普通。
怖いとかムカつくとかそんなことも思わず「お父さんの言うことは絶対!」という信念のもと大きくなった俺はそりゃぁ逞しく育ったしちょっとやそっとの痛みで泣くようなガキとは一味違った。
保育園ではガキ大将、小学校では問題児、それらの行程を経ていつ自分が女になったのか。
元々男ばかりいたせいで末っ子の俺は女みたいなポジションではあったけれど、著しくなったのは確か、第二次性徴が始まった頃だったと思う。
元々美形だったし、自分の顔は割と好きだったから、父親と兄たちのような髭が自分にも生えてきた時はギョッとした。
これは何かの間違いだと思ったけれど、触ると確かにあの感触。
慌てて剃刀を買って来て剃ってみたら、刃をずらしてしまい顎から血が出て来た。慌てて絆創膏を貼って、家族に見付からないように剃刀は捨てた。
声変わりも苦痛で仕方がなかった。合唱コンクールの時はずっとソプラノだったのに、アルトに落とされた。
そんな低い声でねぇよ!と思っていたら何故か出た。
どんどん変わっていく。父親や兄たちのようにむさ苦しい男に変わっていく。
どんどん可愛くなっていく女子たちが妬ましいの何ので、特に高校に入ってすぐに出会った風野綾瀬の可愛さなんてもう嫉妬を通り越して殺意すら湧いてきたくらいだった。
――どうせ俺は男ですよーだ。
スカートをはいたままそんなことを呟いて、結局自分は何がしたいのかよく分からなくなっていた訳で……。
「浅井君、忘れもの」
背の低い同級生に向かって声をかけると、彼は慌てたように振り返った。
「ピルケース」
そう言って、いつも首から下げているネックレスを差し出すと、浅井君は慌てて俺からネックレスを引っ手繰る。
2人きりになるなんて本当に久しぶりだ。
高校に入りたての俺はこの人のことが大好きで大好きで仕方無くて、ある種ブランド物を身につけたいかのような気持ち一心だった。
何処に惚れたか?
男らしいところとか、あと優しいところとか、明るいところとか、まぁいろいろ……。
「めぐはさぁ」
本名を教えたのに未だにめぐと呼んでくるところもちょっと好き。
「淳とは結局付き合ってないの?」
そう聞かれ、思わず笑ってしまった。
「残念ながらあいつはホモじゃないんだよ」
俺が言うと、浅井君が「俺も違うけどな!?」と慌てたように言った。
駅のホームで電車を待ちながらふと聞いてみた。
「俺がまた女の恰好に戻ったら、浅井君はまためぐを好きになってくれますか」
ボーッと線路を眺めていた浅井君は、俺を振りかえらずに「ないでしょ」と答えた。
「別に付き合わなくたって、これからもずっと一緒じゃん」
そう言われ、俺は苦い気持ちになる。
ずっとって言ったって、高校を卒業するまでじゃないか。高校を出たらそれぞれの進路に向かって歩き始めて、もう互いのことなんて思いだせなくなるじゃないか。
一気に機嫌を損ねた俺を気にすることなく、浅井君は滑り込んできた電車へと乗り込んでしまう。
「めぐー、何してんだよ早く乗れよ」
電車の中から言われ、俺はムッとする。
「1本見送るから良いし!」
そう怒鳴ると、彼は困ったような表情を浮かべた後、車両から降りてきた。
「めぐの考えてることはまったく分からない」
浅井君はそう言いながらも駅の売店へと行き、アイスキャンディーを2本買って来た。
1つを手渡され、俺はお礼も言わずに開封して食べ始める。
「めぐ、お前R大学志望だろ」
そう言われ、俺はパッと顔を上げた。
「もっと勉強しとけよ。俺1人で入ったら洒落になんねーじゃん」
唖然とする。
「同じ志望校なんて聞いてない!」
俺が言うと、浅井君は苦笑いを浮かべながら「言ってないもん」と答えた。
「井上と同じとこ行くんじゃなかったの?」
俺が言うと、浅井君は「なんで」と短く呟く。
「井上とは幼馴染みなんだよ。家も近いし、いつだって会えるし、何も同じとこ行く必要ないだろ」
次の電車のアナウンスが聞こえてくる。
「早く帰るぞ」
そう言われ、俺は慌ててアイスキャンディーを食べると、ホームのクズ入れにゴミを捨てた。
「浅井君って本当小さいよね」
俺の言葉に浅井君は「はぁ!?」と声を荒げる。
「肌も白いし、毛も薄いし、なんか羨ましいな」
そう続けると、彼は視線を泳がせた後、「褒めてないからそれ」と小声で呟いた。
また夏が始まろうとしている。
今年はお互い何の重荷のないごく平凡な長い夏だ。
約束通りまた皆で海へ行ったり花火をしたり、中学の時にできなかったことを思い切りやるんだ。
ガラガラに空いた車両で、2人で少しだけ距離を置いて座る。
「いっぱい遊ぶんだから補習にならないように気をつけろよ」
疲れたように背もたれに靠れながら言う浅井君を横目で見ながら「ハイハイ」と答える。
今でもこいつが好き?
そんなことを誰かに聞かれたら、どう自分は返せば良いのだろう。
――男でも良いのなら、俺とも付き合ってくれればいいのに。
少しだけ考えたことがある。
けれど、男だという理由だけで俺を選んでくれるような浅井君なら、此方からお断りなはずだから。
有効期限はあと5年。
それまでに1度くらい振り向かせてやりたいと思いながら、俺も背もたれに靠れた。
何で1人目じゃないのに一なんて名前が付くのか幼少期から激しく疑問だった。
俺が生まれて暫くして母親が家を出て行ってしまったせいで、我が家は完全に男系家族。堅苦しい父親とむさくるしい兄3人と、俺の5人で育った。
夕食の取り合いで大喧嘩になることなんて日常茶飯事で、その度に父親は重いフライパンと肉切り包丁を台所から持ち出して来て「これ以上騒いだら殺す!」と怒鳴っていた。なんかもうそれが普通。
怖いとかムカつくとかそんなことも思わず「お父さんの言うことは絶対!」という信念のもと大きくなった俺はそりゃぁ逞しく育ったしちょっとやそっとの痛みで泣くようなガキとは一味違った。
保育園ではガキ大将、小学校では問題児、それらの行程を経ていつ自分が女になったのか。
元々男ばかりいたせいで末っ子の俺は女みたいなポジションではあったけれど、著しくなったのは確か、第二次性徴が始まった頃だったと思う。
元々美形だったし、自分の顔は割と好きだったから、父親と兄たちのような髭が自分にも生えてきた時はギョッとした。
これは何かの間違いだと思ったけれど、触ると確かにあの感触。
慌てて剃刀を買って来て剃ってみたら、刃をずらしてしまい顎から血が出て来た。慌てて絆創膏を貼って、家族に見付からないように剃刀は捨てた。
声変わりも苦痛で仕方がなかった。合唱コンクールの時はずっとソプラノだったのに、アルトに落とされた。
そんな低い声でねぇよ!と思っていたら何故か出た。
どんどん変わっていく。父親や兄たちのようにむさ苦しい男に変わっていく。
どんどん可愛くなっていく女子たちが妬ましいの何ので、特に高校に入ってすぐに出会った風野綾瀬の可愛さなんてもう嫉妬を通り越して殺意すら湧いてきたくらいだった。
――どうせ俺は男ですよーだ。
スカートをはいたままそんなことを呟いて、結局自分は何がしたいのかよく分からなくなっていた訳で……。
「浅井君、忘れもの」
背の低い同級生に向かって声をかけると、彼は慌てたように振り返った。
「ピルケース」
そう言って、いつも首から下げているネックレスを差し出すと、浅井君は慌てて俺からネックレスを引っ手繰る。
2人きりになるなんて本当に久しぶりだ。
高校に入りたての俺はこの人のことが大好きで大好きで仕方無くて、ある種ブランド物を身につけたいかのような気持ち一心だった。
何処に惚れたか?
男らしいところとか、あと優しいところとか、明るいところとか、まぁいろいろ……。
「めぐはさぁ」
本名を教えたのに未だにめぐと呼んでくるところもちょっと好き。
「淳とは結局付き合ってないの?」
そう聞かれ、思わず笑ってしまった。
「残念ながらあいつはホモじゃないんだよ」
俺が言うと、浅井君が「俺も違うけどな!?」と慌てたように言った。
駅のホームで電車を待ちながらふと聞いてみた。
「俺がまた女の恰好に戻ったら、浅井君はまためぐを好きになってくれますか」
ボーッと線路を眺めていた浅井君は、俺を振りかえらずに「ないでしょ」と答えた。
「別に付き合わなくたって、これからもずっと一緒じゃん」
そう言われ、俺は苦い気持ちになる。
ずっとって言ったって、高校を卒業するまでじゃないか。高校を出たらそれぞれの進路に向かって歩き始めて、もう互いのことなんて思いだせなくなるじゃないか。
一気に機嫌を損ねた俺を気にすることなく、浅井君は滑り込んできた電車へと乗り込んでしまう。
「めぐー、何してんだよ早く乗れよ」
電車の中から言われ、俺はムッとする。
「1本見送るから良いし!」
そう怒鳴ると、彼は困ったような表情を浮かべた後、車両から降りてきた。
「めぐの考えてることはまったく分からない」
浅井君はそう言いながらも駅の売店へと行き、アイスキャンディーを2本買って来た。
1つを手渡され、俺はお礼も言わずに開封して食べ始める。
「めぐ、お前R大学志望だろ」
そう言われ、俺はパッと顔を上げた。
「もっと勉強しとけよ。俺1人で入ったら洒落になんねーじゃん」
唖然とする。
「同じ志望校なんて聞いてない!」
俺が言うと、浅井君は苦笑いを浮かべながら「言ってないもん」と答えた。
「井上と同じとこ行くんじゃなかったの?」
俺が言うと、浅井君は「なんで」と短く呟く。
「井上とは幼馴染みなんだよ。家も近いし、いつだって会えるし、何も同じとこ行く必要ないだろ」
次の電車のアナウンスが聞こえてくる。
「早く帰るぞ」
そう言われ、俺は慌ててアイスキャンディーを食べると、ホームのクズ入れにゴミを捨てた。
「浅井君って本当小さいよね」
俺の言葉に浅井君は「はぁ!?」と声を荒げる。
「肌も白いし、毛も薄いし、なんか羨ましいな」
そう続けると、彼は視線を泳がせた後、「褒めてないからそれ」と小声で呟いた。
また夏が始まろうとしている。
今年はお互い何の重荷のないごく平凡な長い夏だ。
約束通りまた皆で海へ行ったり花火をしたり、中学の時にできなかったことを思い切りやるんだ。
ガラガラに空いた車両で、2人で少しだけ距離を置いて座る。
「いっぱい遊ぶんだから補習にならないように気をつけろよ」
疲れたように背もたれに靠れながら言う浅井君を横目で見ながら「ハイハイ」と答える。
今でもこいつが好き?
そんなことを誰かに聞かれたら、どう自分は返せば良いのだろう。
――男でも良いのなら、俺とも付き合ってくれればいいのに。
少しだけ考えたことがある。
けれど、男だという理由だけで俺を選んでくれるような浅井君なら、此方からお断りなはずだから。
有効期限はあと5年。
それまでに1度くらい振り向かせてやりたいと思いながら、俺も背もたれに靠れた。