・*不器用な2人*・
木山淳の場合
本物の家族だけれど、何処の家庭よりもぎこちなく、何処の家庭よりも張りぼてだ。
幸せですかと聞かれて「はいしあわせです」なんて即答できる程、ドラマのような素敵家庭では断じてなかった。
食器の割れる音が聞こえて慌てて振り返ると、薫が慌てて床へと這いつくばるところだった。
「薫、触ったらいけない……」と俺が言い掛けたところで「いった…」と低い声が聞こえてくる。
溜息をつきながら掃除機に布を張って、台所へと入って行く。
「ガラスに素手で触ったらいけないって……これ常識だろ」
俺の言葉に薫はムッとした表情を浮かべた後、無言で台所から出て行ってしまった。
――お前がやったんだからお前が片付けろ!!
心の中でそう思いながらも掃除機の電源を入れて破片を布へと吸いつける。
「薫君、ちゃんと消毒しないとバイ菌入るでしょ!」
恭子さんは廊下で薫にそう叱った後台所へと入って来た。
「もうどっちがお兄ちゃんだか弟だか分からなくなっちゃったね」
そう笑いながら言われ、複雑な気分になる。
ずっとお互い一人っ子だったから仕方はないんだけれど。
――俺が弟です。
心の中で呟きながら、掃除機の電源を落とした。
夕食時。
「薫、お前刺身にソースなんてかけるなよ……」
俺の言葉に薫はパッと顔を上げて「え…」と、自分の持っていた容器を見なおす。
見事にとんかつソースだ。
「色が似てるから分からなかった」
そう真顔で言う薫を恭子さんは可愛いと思ったのか全力で撫でているけれど、可愛いを通り越してこれはもうバカとしか言いようがない。
色は似てるけどボトルが違うんだから気付けよ!! と内心思いながらも、まさかこんなもの食べないだろうなとハラハラしながら横目で薫の様子を窺う。
俺の心配通りにソースを付けた刺身を口へ運んだ彼は慌てたように席を立ちトイレへと走って行く。
戻って来てから「なんか牛乳の味がした」と思われた時はちょっとだけ真似したくなったけれど、さすがにやめておいた。
一緒に住んで1週間もすれば、ずっと憧れ羨んでいた兄が実はたいしたことなかったということに気付かされた。
俺のことを散々見下していたくらいだから何でもできるのだろうと思っていたけれど、生活能力は皆無に等しかった。
恭子さんが双子らしいからという理由で部屋を一緒にしようとしたのはさすがに断った。
こんなのと一緒に住んだら俺にまで実害があると本気で思った。
自室へ戻る際にそっと薫の部屋を覗いてみた。
彼はベッドの隅に座ったまま、先ほど切ったと思われる指をジッと眺めていた。
「恭子さんの言う通り消毒しろよ」
俺が声をかけると薫は肩を跳ね上がらせて此方を見て、小動物みたいにむくれる。
「別にバイ菌入ったって死なねーし」
「誰も死活問題の話なんてしてねーから」
呆れながら俺は中へ入って行き、扉の直ぐ近くに胡坐を組んだ。
「薫、お前意外にバカだろ」
俺の言葉に薫は「うるせー」と低い声で答えて、恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「なんか落ち着かないんだよ、ここ俺の家じゃないみたいで」
「いや、恭子さん自宅出産だったからお前が生まれたのも一応この家なんだけど…」
そう言いつつも薫が家に戻って来てからの毎日を思い出す。
バス・トイレ・キッチンがまるで自分のものではないかのようになかなか立ち入ろうとしなかったし、風呂へ入る前と入った後は一々恭子さんたちに報告をしていた。
しなくていいと言っているのに家中の掃除をし、しかもその掃除が壊滅的に下手で毎回何か家具がひっくり返る。
「お前が余所余所しいと恭子さんたちが悲しむだろ」
俺が言うと、薫が「おまえこそ」と言った。
「自分の母親のこと名前にさん付けしてて充分よそよそしいじゃねーか」
反論できないことを言われてしまい、カッと頭に血が上る。
近くにあったボックスティッシュを投げつけると、それは簡単に薫の顔へと命中した。おもに角が。
「いった!」
薫は大袈裟に怒鳴ると鼻を覆う。
恭子さんが何事かと部屋へと入って来た時には既に取っ組み合いが始まっていて、兄弟げんかを見たことがない恭子さんは旦那さんまで呼んできてしまった。
その後はリビングで2人で正座をさせられてお説教。
「淳、何があっても暴力はいけないと昔からあれほど言っているだろう…」
優しく諭すように言われたものの、内心では「暴力じゃねーよ!」と反抗してしまった。
「薫、お前も淳にキツいことを言うな、あと手当くらいちゃんとしろ…」
養父さんに言われた薫は何故かこれくらいで涙目になっている。
泣きたいのはこっちだ!と思いながらもバカバカしくなってしまい立ち上がった。
「淳君何処行くの」
恭子さんに言われ、「部屋」とふてぶてしく答える。
薫が来た途端本物の家族みたいになってしまった我が家に少しだけ不満が残る。
自分が薫を此処まで引っ張って来たんだから今さら文句は言えないにしろ、ずっと憧れていたお兄さん像がここ1週間で一気に崩れてしまった。
夜中。扉をノックされ、夢うつつにいた俺は慌てて起き上がった。
扉を開けると、薫が部屋の前に申し訳なさそうに立っていた。
「手当くらいしろって言われたからやろうと思ったんだけど、なんかやり方分からなくて…」
そう言う薫の人差し指には何故か包帯がぐるんぐるんと巻き付けられている。しかも超雑。
「おまえ、指切ったくらいで包帯なんて使うなよ!」
思わず怒鳴ってしまったものの、先ほどのことを思い出し、それ以上言うのは止めた。
部屋の電気をつけて薫を中に入れる。
「こういうのは絆創膏で良いんだって。あとお前消毒液付けてからまけよ。意味ねーだろ」
俺が手当てをしている間も薫は相変わらず不機嫌そうな表情を浮かべたままだった。
「俺と一緒に住むの、嫌?」
そう聞かれ、俺は薫の指から顔へと視線を移す。
「嫌じゃない」
慌てて答えた。
「でも、あまりにも何もできないところには毎回呆れる」
そう言おうとして、今さらながらにも薫のTシャツにシミができているのに気が付いた。
「おまえ、それ何溢したの」
俺が言うと、薫はまた黙り込んだ。
「さっきお茶と間違えて醤油飲んだ時付いた」
「危ないよそれ!さすがに命にかかわるよ!」
思わずつっこむと、薫はまた俺から視線を逸らしてしまった。
明け方。
目を開けると薫はもう部屋にはいなかった。
いつ帰って行ったのだろうと思いながら起き上がると、扉がノックされた。
「淳、起きてる?」
恭子さんの声がして、俺は慌てて「はい」と答える。
恭子さんは部屋に静かに入って来て、俺のベッドの前に腰をおろした。
「さっきはごめんね、淳の言い分全然聞いてあげられなかったね。
薫に気を取られ過ぎていたかもしれない、ここ数日」
そう言われても……。
返答に困っていると、恭子さんが続けた。
「淳が気を遣ってるの、ちゃんと分かってるからね」
そう言われ、気が抜けてしまった。
薫が何もできないと、恭子さんたちが薫につきっきりになってしまうから、此方を向いてくれないから、自分はそれが嫌だったのだと今になって気付いた。
10年以上恭子さんたちを独占していたクセに、我儘にも程があると自分でも思った。
「こんな時間にごめんね、おやすみ」
そう言って恭子さんは部屋を出て行った。
翌朝。
隣りの部屋から大きな物音がして、跳ね起きた。
慌てて扉を開けると、本棚が1つ倒れてしまっていた。
「またかよ……」
溜息をつきながら棚を持ち上げて壁へと戻すと、急に背後から抱きつかれた。
「え、何これ」
俺が首だけ振り返って言うと、薫がボソッと言った。
「おまえ、触られるの好きなんだってな。
風野さんから聞いた」
――こいつに何言ったバカ綾瀬!
クラス1の美人のことをバカ呼ばわりしながら、結局のところまんざらでもない気分でいた訳で。
朝食に呼びに来た恭子さんは俺達を見て何事かというように唖然としていたものの、やがて面白がって更に抱きついてきた。
2人からギューギューと絞めつけられたせいで息が苦しかったものの、初めて感じた家族の体温は、思っていたよりずっと心地よかった。
幸せですかと聞かれて「はいしあわせです」なんて即答できる程、ドラマのような素敵家庭では断じてなかった。
食器の割れる音が聞こえて慌てて振り返ると、薫が慌てて床へと這いつくばるところだった。
「薫、触ったらいけない……」と俺が言い掛けたところで「いった…」と低い声が聞こえてくる。
溜息をつきながら掃除機に布を張って、台所へと入って行く。
「ガラスに素手で触ったらいけないって……これ常識だろ」
俺の言葉に薫はムッとした表情を浮かべた後、無言で台所から出て行ってしまった。
――お前がやったんだからお前が片付けろ!!
心の中でそう思いながらも掃除機の電源を入れて破片を布へと吸いつける。
「薫君、ちゃんと消毒しないとバイ菌入るでしょ!」
恭子さんは廊下で薫にそう叱った後台所へと入って来た。
「もうどっちがお兄ちゃんだか弟だか分からなくなっちゃったね」
そう笑いながら言われ、複雑な気分になる。
ずっとお互い一人っ子だったから仕方はないんだけれど。
――俺が弟です。
心の中で呟きながら、掃除機の電源を落とした。
夕食時。
「薫、お前刺身にソースなんてかけるなよ……」
俺の言葉に薫はパッと顔を上げて「え…」と、自分の持っていた容器を見なおす。
見事にとんかつソースだ。
「色が似てるから分からなかった」
そう真顔で言う薫を恭子さんは可愛いと思ったのか全力で撫でているけれど、可愛いを通り越してこれはもうバカとしか言いようがない。
色は似てるけどボトルが違うんだから気付けよ!! と内心思いながらも、まさかこんなもの食べないだろうなとハラハラしながら横目で薫の様子を窺う。
俺の心配通りにソースを付けた刺身を口へ運んだ彼は慌てたように席を立ちトイレへと走って行く。
戻って来てから「なんか牛乳の味がした」と思われた時はちょっとだけ真似したくなったけれど、さすがにやめておいた。
一緒に住んで1週間もすれば、ずっと憧れ羨んでいた兄が実はたいしたことなかったということに気付かされた。
俺のことを散々見下していたくらいだから何でもできるのだろうと思っていたけれど、生活能力は皆無に等しかった。
恭子さんが双子らしいからという理由で部屋を一緒にしようとしたのはさすがに断った。
こんなのと一緒に住んだら俺にまで実害があると本気で思った。
自室へ戻る際にそっと薫の部屋を覗いてみた。
彼はベッドの隅に座ったまま、先ほど切ったと思われる指をジッと眺めていた。
「恭子さんの言う通り消毒しろよ」
俺が声をかけると薫は肩を跳ね上がらせて此方を見て、小動物みたいにむくれる。
「別にバイ菌入ったって死なねーし」
「誰も死活問題の話なんてしてねーから」
呆れながら俺は中へ入って行き、扉の直ぐ近くに胡坐を組んだ。
「薫、お前意外にバカだろ」
俺の言葉に薫は「うるせー」と低い声で答えて、恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「なんか落ち着かないんだよ、ここ俺の家じゃないみたいで」
「いや、恭子さん自宅出産だったからお前が生まれたのも一応この家なんだけど…」
そう言いつつも薫が家に戻って来てからの毎日を思い出す。
バス・トイレ・キッチンがまるで自分のものではないかのようになかなか立ち入ろうとしなかったし、風呂へ入る前と入った後は一々恭子さんたちに報告をしていた。
しなくていいと言っているのに家中の掃除をし、しかもその掃除が壊滅的に下手で毎回何か家具がひっくり返る。
「お前が余所余所しいと恭子さんたちが悲しむだろ」
俺が言うと、薫が「おまえこそ」と言った。
「自分の母親のこと名前にさん付けしてて充分よそよそしいじゃねーか」
反論できないことを言われてしまい、カッと頭に血が上る。
近くにあったボックスティッシュを投げつけると、それは簡単に薫の顔へと命中した。おもに角が。
「いった!」
薫は大袈裟に怒鳴ると鼻を覆う。
恭子さんが何事かと部屋へと入って来た時には既に取っ組み合いが始まっていて、兄弟げんかを見たことがない恭子さんは旦那さんまで呼んできてしまった。
その後はリビングで2人で正座をさせられてお説教。
「淳、何があっても暴力はいけないと昔からあれほど言っているだろう…」
優しく諭すように言われたものの、内心では「暴力じゃねーよ!」と反抗してしまった。
「薫、お前も淳にキツいことを言うな、あと手当くらいちゃんとしろ…」
養父さんに言われた薫は何故かこれくらいで涙目になっている。
泣きたいのはこっちだ!と思いながらもバカバカしくなってしまい立ち上がった。
「淳君何処行くの」
恭子さんに言われ、「部屋」とふてぶてしく答える。
薫が来た途端本物の家族みたいになってしまった我が家に少しだけ不満が残る。
自分が薫を此処まで引っ張って来たんだから今さら文句は言えないにしろ、ずっと憧れていたお兄さん像がここ1週間で一気に崩れてしまった。
夜中。扉をノックされ、夢うつつにいた俺は慌てて起き上がった。
扉を開けると、薫が部屋の前に申し訳なさそうに立っていた。
「手当くらいしろって言われたからやろうと思ったんだけど、なんかやり方分からなくて…」
そう言う薫の人差し指には何故か包帯がぐるんぐるんと巻き付けられている。しかも超雑。
「おまえ、指切ったくらいで包帯なんて使うなよ!」
思わず怒鳴ってしまったものの、先ほどのことを思い出し、それ以上言うのは止めた。
部屋の電気をつけて薫を中に入れる。
「こういうのは絆創膏で良いんだって。あとお前消毒液付けてからまけよ。意味ねーだろ」
俺が手当てをしている間も薫は相変わらず不機嫌そうな表情を浮かべたままだった。
「俺と一緒に住むの、嫌?」
そう聞かれ、俺は薫の指から顔へと視線を移す。
「嫌じゃない」
慌てて答えた。
「でも、あまりにも何もできないところには毎回呆れる」
そう言おうとして、今さらながらにも薫のTシャツにシミができているのに気が付いた。
「おまえ、それ何溢したの」
俺が言うと、薫はまた黙り込んだ。
「さっきお茶と間違えて醤油飲んだ時付いた」
「危ないよそれ!さすがに命にかかわるよ!」
思わずつっこむと、薫はまた俺から視線を逸らしてしまった。
明け方。
目を開けると薫はもう部屋にはいなかった。
いつ帰って行ったのだろうと思いながら起き上がると、扉がノックされた。
「淳、起きてる?」
恭子さんの声がして、俺は慌てて「はい」と答える。
恭子さんは部屋に静かに入って来て、俺のベッドの前に腰をおろした。
「さっきはごめんね、淳の言い分全然聞いてあげられなかったね。
薫に気を取られ過ぎていたかもしれない、ここ数日」
そう言われても……。
返答に困っていると、恭子さんが続けた。
「淳が気を遣ってるの、ちゃんと分かってるからね」
そう言われ、気が抜けてしまった。
薫が何もできないと、恭子さんたちが薫につきっきりになってしまうから、此方を向いてくれないから、自分はそれが嫌だったのだと今になって気付いた。
10年以上恭子さんたちを独占していたクセに、我儘にも程があると自分でも思った。
「こんな時間にごめんね、おやすみ」
そう言って恭子さんは部屋を出て行った。
翌朝。
隣りの部屋から大きな物音がして、跳ね起きた。
慌てて扉を開けると、本棚が1つ倒れてしまっていた。
「またかよ……」
溜息をつきながら棚を持ち上げて壁へと戻すと、急に背後から抱きつかれた。
「え、何これ」
俺が首だけ振り返って言うと、薫がボソッと言った。
「おまえ、触られるの好きなんだってな。
風野さんから聞いた」
――こいつに何言ったバカ綾瀬!
クラス1の美人のことをバカ呼ばわりしながら、結局のところまんざらでもない気分でいた訳で。
朝食に呼びに来た恭子さんは俺達を見て何事かというように唖然としていたものの、やがて面白がって更に抱きついてきた。
2人からギューギューと絞めつけられたせいで息が苦しかったものの、初めて感じた家族の体温は、思っていたよりずっと心地よかった。