・*不器用な2人*・
第16話/クラブハウス
ケータイの電源を入れたのは、アドレス帳整理のためだった。

転校の手続きは私が完全に腹をくくるまでおこなわないということになっていたけれど、着々と話は進みつつある。

その前に、高校の人たちのアドレスを消してしまおうと思った。

電源を入れ、ディスプレイに待ち受けが表示される。

着信もメールも50件を越えていた。

慌ててメールを確認すると、すべてめぐちゃんからのものだった。

着信は木山君と浅井君から交互に。

しばらく呆気にとられた後、私は想いきってめぐちゃんに電話をかけてみた。

電話はワンコールで繋がった。




「綾瀬ちゃん――」

電話に出ためぐちゃんは半泣きになった。

「学校来ないし全然連絡とれないし、本気で心配したんだよ――。」

めぐちゃんはしばらく泣いていたけれど、やがて落ち着いたのか、声が低くなる。

「今うちら、屋上に集まってないんだ。みんな別々に食事してるの。

綾瀬ちゃんがいないのにうちらだけでお弁当とるのも嫌だし、浅井君と梶君が喧嘩しちゃってて。」

めぐちゃんはまだ学校なのか、電話越しにチャイムの音や生徒の話し声が聞こえてくる。

私はハッとした。

――今、梶君はどうしているのだろう。

「めぐちゃん、私ちょっと出かけてくる。」

私はそう言うと、めぐちゃんの返事も待たずに電話を切った。

時間は、部活が始まる頃だった。




グラウンドに設置されたクラブハウスから出て来た野球部員たちが、疲れた様子で私の横をすり抜けていく。

その中には浅井君も木山君もいなかった。

「でも1年生1人にクラブハウスの掃除させたなんてバレたら、コーチに怒られるんじゃねーの、俺ら。」

通り過ぎていく部員たちの中から、そんな声が聞こえてきた。

私は思わず足を止める。

「いいんだよ、梶って最近全然集中してねーじゃん。
それに、あいつ他の1年ともうまくいってないみたいだし、やらせといたって誰もチクんねーよ。」

――クラブハウスで首を吊って自殺……。

先日同級生の男子たちから聞いた言葉が蘇ってきた。



扉を開けると、膝を抱えていた梶君は驚いたように顔を上げた。

ギョッとしたような表情を浮かべ、彼は口を金魚のように開け閉めする。

「何、してるの。」

そう言われ、私は勢いよくクラブハウスの扉を閉めた。

「それはこっちのセリフだよ。」

ふてぶてしく呟いて、私は彼の前に腰を下ろす。

死人のように……と同級生たちが例えていたことを思い出す。

電気を付けていないクラブハウスは何だか少しだけ薄気味悪くて、今にも何か出てきそうだった。

埃が立ちこめる不衛生な空間に1人だけでいたら気でも狂いそうだ。

床にうずくまって、このまま梶君が消えて行ってしまうのではないか、

あの優しさだとか温かさだとか、そのすべてが消えていってしまうのではないか。

急にそんな不安が私を襲う。

ずっといい人で居続けるということ…、誰にも甘えずに1人で生きていくということ…、それがどれほど心細いのか、私は知っているはずだから。

そう思うと堪えられなくなって、私は梶君を抱き締めていた。

ずっと、4月から口には出さなかった言葉が不意に零れる。

好き、そんなたった2文字だけで表せる私の気持ち。

梶君はゆっくりと私の背中へと手を回してくれた。



帰り道、初めて梶君と手を繋いだ。

彼の手があまりにも冷たかったから、繋がずにはいられなかった。

お互い視線を逸らしたまま歩く通学路は、なんだかいつもと違う感じがして、だけど何故か緊張はしなかった。

最初から私たちの距離はこうであったかのように、手を繋ぐのも抱き合うのも抵抗はなかった。

「風野といると、我慢できるはずのことが我慢できなくなる。」

梶君が小声で言った。

私は彼を見上げる。

「大人げないことばかりしてる気がする。」

またポツリと言う梶君に、私は笑みを浮かべた。

「気にしてないよ。」




家の前まで来た時だった。

梶君が足を止めた。

私も慌ててそれにつられ、梶君の視線の先を辿る。

スッとした高身長に細身の爽やかな男子が、ちょうどこちらへとやって来るところだった。

私たちに気付くと彼も足を止め、表情を強張らせる。

「梶……と風野さん……。」

上擦った声で私たちの名前を呼ぶと、木山君は慌てたように逃げだそうとする。

彼が肩にかけていたスクールバッグから、チャックをしていなかったのか教材がバラバラと落ちる。

木山君は一瞬だけ立ち止まり振り返った。

私と、目が合う。

「ごめんね、本当にごめんね。」

彼は早口にそう言うと、教材も拾わずにまた走って行ってしまった。

呆気にとられている私の肩を梶君が叩く。

「風野、それ拾っておいて。俺、あいつ追いかけてくるから。」

梶君は私の返事も待たずに、木山君が消えて行った方角へと走って行ってしまう。

何が起こったのか理解できないまま、私は茫然としていた。




7時まで木山君が落としていった教材を持って待っていたけれど、2人は戻ってこなかった。

仕方なしに私はそのまま家へともどった。

自室に入ってから、しばらくケータイを眺めていたけれど、梶君からも木山君からもかかってはこなかった。

メールが来たのは夜の10時になってからだった。

梶君からのメールに驚き、開封するのに数秒を要してしまった。

「今日はごめん。また明日。」

そんな素っ気ない文面を見て、彼がこれを打つのに何分かかったのだろうと思うと、少しだけ心が温まった。

退学の話はまだ母親と検討中だけど、もしあの学校を辞めてしまっても、梶君とはこれからも仲良くしたいと思い始めていた。

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