・*不器用な2人*・
第17話/木山君の本当
翌朝。
母親が早くに部屋の扉をノックした。
「高校の友達が玄関まで来てるけど、あいさつだけでもする?」
母親は妙に明るい調子で言うと、私がかぶっていた毛布を軽くはがす。
「やけに格好いい男の子だけど、綾瀬の彼氏?」
その言葉に、私は慌てて跳ね起きた。
――梶君……。
パーカーを羽織って鏡の前で髪をとかして、急いで階段を下りて行く。
壁に凭れてジッと大理石の床を眺めている長身の男子を見て、私の足は止まった。
――どうして。
心の中でそう思った。
長い前髪を耳にかけることなく俯いている彼は、私の知っている彼よりもずっと物憂げで、ただでさえ細い体がもっと痩せてしまったように見えた。
「木山君?」
私が声をかけると、木山君はハッとしたように顔を上げる。
神経質そうな瞳が遠慮がちに私の顔を見ていた。
「1日ぶり……。」
私がそう言うと、彼はどんな表情を浮かべればいいのか分からない、とでもいうかのように、また俯いてしまう。
私は玄関へと下りて行くと、彼の腕を掴んだ。
「登校急いでなかったら、部屋上がって行って。」
私が腕を引っ張ると、彼は何の抵抗もなしに引っ張られた。
部屋へ入ってもなお、気まずい沈黙は破れなかった。
学校が始まる時間になっていたけれど、木山君は時計を見ようともしていない。
「あれから梶君と何か話した?」
昨日路上から拾った教材を木山君に私ながら、私はそう訊ねた。
木山君は緩慢な動作で教材を受け取り、鞄へと入れる。
彼は部屋へ入っても終始無言だった。
答えが返ってこないことをもどかしく思いながらも、どうしたら木山君がしゃべってくれるのかも分からなかった。
――ごめんね、ってどういう意味だったんだろう。
昨日逃げる時に彼が私たちに謝っていたことを思い出す。
「あの日淳に電話をかけさせたの、俺。」
木山君がポツリと言った。
私は、慌てて顔を上げる。
あの日、というのがいつのことを指すのか、私はすぐに分かった。
「木山君が?
どうして?」
梶君と仲違いするきっかけとなってしまった土曜日。
私は淳君のケータイで教室へと呼び出されて、そこで淳君に乱暴な言葉を投げかけられた。
木山君は俯いたまま私と顔を合わせようともしない。
「こんなことになるとは思わなくて、淳が俺の言うこと信じるとも思わなくて、あの日雨が降るとも……」
木山君の声は普段なら考えられないほど、小さくて自信なさげだった。
髪を時々掻きながらしゃべる姿は、とてもあのお兄さんらしい彼と同一人物だとは思えなかった。
木山君は、やがてボソッと言った。
「魔が差した、それだけなんだ。」
と。
「淳が学校行ってないって知ってる?」
木山君に不意に聞かれ、私はハッとした。
梶君にもめぐちゃんにも教えてもらっていなかった。
「知らない」と答える自分の声が震えているのが分かった。
「風野さんが学校来なくなってすぐ、淳も来なくなった。」
私は、自分が最後に学校に行った日のことを思い出す。
淳君は、私に嫌に絡んできた女子を投げ飛ばして、静かに怒っていた。
私と目を合わせようとしてくれなかった。
あの時の寂しそうな横顔が不意に思い出される。
「どうしてあんなことさせちゃったんだろうって、後になって思ったけど……自分が悪いなんて思いたくなかったし、実際俺は、別にそんなつもりじゃ……」
木山君は乱暴に髪を掻き上げて、その場に突っ伏した。
私は慌てて彼に近寄って、その背中を支える。
「大丈夫だよ、私、怒らないよ。」
そう声をかけながらも、私はこれ以上話を聞いていいのだろうかと心の中で思っていた。
そのまま木山君の話を聞いて、自分は木山君のことを嫌いになってしまわないだろうか、とそんな不安がよぎる。
「昨日、梶君と何か話した?」
木山君が落ち着いてから、私はもう1度訊ねた。
木山君は疲れたようにうなだれながら、「謝った」と言う。
「全部話して、頭下げて謝った。
そしたら梶、全然怒ってくれなくて。それどころか俺のこと心配してくれて。
そのせいで俺がどれだけ惨めな想いをしたか……。」
彼はそう呟いて、自分の前髪を撫でる。
「梶君は、そういう人だから。」
私は小声で答える。
彼は何をされても怒らないし、自分の思っていることをハッキリと言わない。
それは、私も梶君の中学時代の友人から聞いて知ったことだ。
――風野さんはあいつらの何を知ってるの?
淳君に言われた通り、私は表面上のことしか見れていなかった。
めぐちゃんに対しても、梶君に対しても、木山君に対しても。
今までの人生で関わってきたすべての人に。
「だから、許してもらえばいいんじゃないかな。」
そんな言葉が口から出た。
木山君が驚いたように顔を上げる。
「梶君は、木山君のこと友達だと思っているから心配してくれたんだよ。
大切だから、離れて行ってほしくないから、責めなかったんだよ。」
私がそう言って笑いかけると、木山君はようやく表情を和らげた。
「ありがとう。突然上がらせてもらっちゃってごめんね。」
玄関を出た木山君が振り返り、小さく笑う。
私も笑い返しながら「気にしてないよ」と答えた。
私も門まで出て行って、gふぇんすから身を乗り出す。
「言い忘れてたけど、私も全然気にしてないよ。
淳君にもそう伝えて。」
去って行こうとする木山君の背中に向かって、私はそう声をかける。
彼はまた振り返って、今度は子どもみたいに笑った。
母親が早くに部屋の扉をノックした。
「高校の友達が玄関まで来てるけど、あいさつだけでもする?」
母親は妙に明るい調子で言うと、私がかぶっていた毛布を軽くはがす。
「やけに格好いい男の子だけど、綾瀬の彼氏?」
その言葉に、私は慌てて跳ね起きた。
――梶君……。
パーカーを羽織って鏡の前で髪をとかして、急いで階段を下りて行く。
壁に凭れてジッと大理石の床を眺めている長身の男子を見て、私の足は止まった。
――どうして。
心の中でそう思った。
長い前髪を耳にかけることなく俯いている彼は、私の知っている彼よりもずっと物憂げで、ただでさえ細い体がもっと痩せてしまったように見えた。
「木山君?」
私が声をかけると、木山君はハッとしたように顔を上げる。
神経質そうな瞳が遠慮がちに私の顔を見ていた。
「1日ぶり……。」
私がそう言うと、彼はどんな表情を浮かべればいいのか分からない、とでもいうかのように、また俯いてしまう。
私は玄関へと下りて行くと、彼の腕を掴んだ。
「登校急いでなかったら、部屋上がって行って。」
私が腕を引っ張ると、彼は何の抵抗もなしに引っ張られた。
部屋へ入ってもなお、気まずい沈黙は破れなかった。
学校が始まる時間になっていたけれど、木山君は時計を見ようともしていない。
「あれから梶君と何か話した?」
昨日路上から拾った教材を木山君に私ながら、私はそう訊ねた。
木山君は緩慢な動作で教材を受け取り、鞄へと入れる。
彼は部屋へ入っても終始無言だった。
答えが返ってこないことをもどかしく思いながらも、どうしたら木山君がしゃべってくれるのかも分からなかった。
――ごめんね、ってどういう意味だったんだろう。
昨日逃げる時に彼が私たちに謝っていたことを思い出す。
「あの日淳に電話をかけさせたの、俺。」
木山君がポツリと言った。
私は、慌てて顔を上げる。
あの日、というのがいつのことを指すのか、私はすぐに分かった。
「木山君が?
どうして?」
梶君と仲違いするきっかけとなってしまった土曜日。
私は淳君のケータイで教室へと呼び出されて、そこで淳君に乱暴な言葉を投げかけられた。
木山君は俯いたまま私と顔を合わせようともしない。
「こんなことになるとは思わなくて、淳が俺の言うこと信じるとも思わなくて、あの日雨が降るとも……」
木山君の声は普段なら考えられないほど、小さくて自信なさげだった。
髪を時々掻きながらしゃべる姿は、とてもあのお兄さんらしい彼と同一人物だとは思えなかった。
木山君は、やがてボソッと言った。
「魔が差した、それだけなんだ。」
と。
「淳が学校行ってないって知ってる?」
木山君に不意に聞かれ、私はハッとした。
梶君にもめぐちゃんにも教えてもらっていなかった。
「知らない」と答える自分の声が震えているのが分かった。
「風野さんが学校来なくなってすぐ、淳も来なくなった。」
私は、自分が最後に学校に行った日のことを思い出す。
淳君は、私に嫌に絡んできた女子を投げ飛ばして、静かに怒っていた。
私と目を合わせようとしてくれなかった。
あの時の寂しそうな横顔が不意に思い出される。
「どうしてあんなことさせちゃったんだろうって、後になって思ったけど……自分が悪いなんて思いたくなかったし、実際俺は、別にそんなつもりじゃ……」
木山君は乱暴に髪を掻き上げて、その場に突っ伏した。
私は慌てて彼に近寄って、その背中を支える。
「大丈夫だよ、私、怒らないよ。」
そう声をかけながらも、私はこれ以上話を聞いていいのだろうかと心の中で思っていた。
そのまま木山君の話を聞いて、自分は木山君のことを嫌いになってしまわないだろうか、とそんな不安がよぎる。
「昨日、梶君と何か話した?」
木山君が落ち着いてから、私はもう1度訊ねた。
木山君は疲れたようにうなだれながら、「謝った」と言う。
「全部話して、頭下げて謝った。
そしたら梶、全然怒ってくれなくて。それどころか俺のこと心配してくれて。
そのせいで俺がどれだけ惨めな想いをしたか……。」
彼はそう呟いて、自分の前髪を撫でる。
「梶君は、そういう人だから。」
私は小声で答える。
彼は何をされても怒らないし、自分の思っていることをハッキリと言わない。
それは、私も梶君の中学時代の友人から聞いて知ったことだ。
――風野さんはあいつらの何を知ってるの?
淳君に言われた通り、私は表面上のことしか見れていなかった。
めぐちゃんに対しても、梶君に対しても、木山君に対しても。
今までの人生で関わってきたすべての人に。
「だから、許してもらえばいいんじゃないかな。」
そんな言葉が口から出た。
木山君が驚いたように顔を上げる。
「梶君は、木山君のこと友達だと思っているから心配してくれたんだよ。
大切だから、離れて行ってほしくないから、責めなかったんだよ。」
私がそう言って笑いかけると、木山君はようやく表情を和らげた。
「ありがとう。突然上がらせてもらっちゃってごめんね。」
玄関を出た木山君が振り返り、小さく笑う。
私も笑い返しながら「気にしてないよ」と答えた。
私も門まで出て行って、gふぇんすから身を乗り出す。
「言い忘れてたけど、私も全然気にしてないよ。
淳君にもそう伝えて。」
去って行こうとする木山君の背中に向かって、私はそう声をかける。
彼はまた振り返って、今度は子どもみたいに笑った。