・*不器用な2人*・
第24話/木山兄弟
止まってほしくても、巻き戻しをしたくても、時は規則正しく過ぎて行く。
梶君と、付き合い始めた。
付き合おう、帰り道にそうポツリと言われて、私は無言で頷いて。
中学時代なら想像もできないほど私の毎日は色鮮やかだというのに、どうして気持ちが重いのだろう。
まるで、かつての自分を別の立場から見ているように、私は自分より可哀想になっていく同級生を、遠目からジッと眺めている。
前よりずっと、人の気持ちに疎くなったような気がするのだ。
屋上へ行く足は重く、教室での気分は暗く。
それでも自分が何を思い悩んでいるのかが少しも分からなかった。
「生理キツいよー。」
そう言いながら机に突っ伏しているめぐちゃんの頭を撫でながら、私はうっすらと笑みを浮かべる。
「めぐちゃん、屋上行こう?」
めぐちゃんは珍しくまとめていない髪を掻き上げながら顔を上げ、教室を見渡した。
「そう言えば木山淳、下駄箱に靴あったのに教室来てないじゃん。」
屋上へ行くと、男子たちはもう全員半袖になっていた。
浅井君にヘッドロックをしていた梶君が私を見ると慌てて浅井君を離す。
爽やかに手を振られ、私も笑顔で振り返した。
「木山君いなくない?」
私は屋上を見渡して言った。
「……そういや遅いな。電話するか。」
浅井君が変えたばかりのケータイを操作し、木山君に電話をかける。
電話はすぐ繋がったらしく、浅井君はいつもの調子でケータイに向かって話しかける。
けれどすぐ、屋上に「はぁ!?」とか「何キレてんだよ!!」という浅井君の怒声が響いた。
私は慌てて耳を覆う。
浅井君は苛立たしげにケータイを切って、梶君を振り返った。
「なんか木山が超不機嫌なんですけど。」
梶君は「またかよ」と面倒そうに言いながら焼きそばパンをかじる。
「暇だし、久し振りに買い出しじゃんけんやるか。」
梶君が思い付いたように言い、屋上を見渡す。
お弁当を食べ終わったみんなは、やる気のない声で「いいよ-」と答えた。
「お腹痛いのに最悪ー。」
そうぼやきながら、めぐちゃんはジュースのパックが人数分詰まったビニール袋をぶら下げて、階段を上る。
それに付き合った私も、お菓子の詰まったビニール袋を片手に提げていた。
屋上へと階段を小走りに上がり、踊り場の水飲み場へとさしかかった時だった。
「もういいよ、お前要らねーよ。」
苛立ちを隠さない怒声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声に、私は慌てて声のした方へと駆け寄る。
水飲み場の前には、淳君と木山君が立っていた。
淳君は腫れ上がった顔に湿布や絆創膏を貼っていた。
木山君は彼の胸ぐらを両手で掴んだまま、思い切り睨み付けている。
「木山君、止めようよ。」
めぐちゃんが慌てて彼らに駆け寄って、木山君の腕を掴む。
木山君は苛立ったようにケモノのような奇声を上げて、めぐちゃんを振り払った。
その弾みでめぐちゃんが地面へと尻餅をつく。
慌てたように淳君がめぐちゃんに駆け寄ろうとしたけれど、その背中を木山君は踏みつけた。
淳君の代わりに、めぐちゃんが悲鳴を上げた。
野球部員たちが来たのは間もなくのことだった。
梶君と浅井君が2人がかりで木山君を押さえつける。
めぐちゃんは淳君を抱き起こし、怯えたように木山君を見上げていた。
「言い訳あるなら言えよ。」
木山君が淳君を見下ろしたまま荒い声で言う。
騒ぎを聞きつけたAクラスの生徒たちが階段まで様子を見に来ていた。
「お世話になった養父から金盗んで恥ずかしくないの?お前。」
木山君の言葉に私は驚いて淳君を見た。
――金ってもしかして……。
私は淳君の前に腰を下ろして、彼の顔をのぞき込む。
「クラスの人達に、言われたの?」
私が訊ねても、淳君は黙ったまま答えようとしなかった。
「木山君、淳はクラスの奴らに嫌がらせされてるんだよ。」
そう言おうとしためぐちゃんの口を、淳君が慌てたように押さえた。
木山君が眉をしかめる。
「知ってるよ。こいつ小学校の時も中学の時もいじめられてたし。」
梶君が木山君の胸ぐらを両手で掴んだ。
木山君を払いのけようともせずに、梶君を睨む。
「いじめられるのは、こいつに問題があるからだろ。
そんなもん真っ向からやり返せばいいだろ。
わざわざ養父の財布から金抜き取るような馬鹿な真似しなくたって……。」
木山君の言葉はそこで止まった。
梶君が勢いよく木山君の頬を殴った。
木山君は数歩よろけて、殴られた頬を押さえる。
彼は梶君に文句を言おうとして、それを飲み込む。
そのまま淳君へと視線を移して、吐き捨てるように言った。
「お前なんかが弟だと思うと、虫酸が走る。」
木山君が階段を上って行くと、Aクラスの生徒たちが慌てたように道を開ける。
梶君と浅井君は木山君の背中を睨み付けていたが、やがて淳君とめぐちゃんの前に座り込んだ。
「お前、その顔どうしたよ。」
浅井君が淳君の顔に手を伸ばしかけた時だった。
急に淳君が胸と口を押さえた。
喉がビクビクと痙攣し始めるのを見て、私は思わず身構えた。
「やば……過呼吸じゃん。」
浅井君が舌打ち混じりに言う。
私は慌ててお菓子を床へと散らして、空になったビニール袋を淳君の口へと押しあてる。
「ゆっくり息吸って、吐いて。」
梶君が淳君の背中をさすり始める。
初めて過呼吸を見たのか、めぐちゃんは怯えたような表情を浮かべたものの、淳君を抱えたままジッとしていた。
ビニール袋は呼吸が繰り返される度に唾液で形を崩していく。
その場を動くこともできず、私たちは淳君の呼吸が戻るのを待つしかなかった。
淳君を保健室まで運んだ浅井君は、ソファに腰をおろしながら半袖シャツを脱ぐ。
「汚れた、最悪。」
そう眉をしかめた彼に、保険医さんが「そういうこと言わないの」と低い声で注意した。
めぐちゃんは突き飛ばされた時に手のひらをすりむいたらしく、自分で消毒液や絆創膏を棚から取り出して手当をしていた。
「それ、養父にやられたんだろ。」
梶君が淳君の枕もとに腰を下ろしながら言う。
淳君は無言のまま梶君を見上げ、すぐ視線を逸らした。
「私、担任の先生のところに行ってくるから、後は任せるね、風野さん。」
保険医さんに名指しで言われ、私は浅く頷いた。
浅井君はブツブツと文句を言いながら、保険医さんと一緒に保健室を出て行く。
手に絆創膏を貼り終えためぐちゃんが、淳君のベッドへと近付いて行く。
「あれくらいで一々過呼吸にならないでよ。」
めぐちゃんの不機嫌な声に、淳君が無言のまま顔をしかめる。
「家族に甘えたいっていう気持ち、分からないわけでもないけど。
あんな酷いお兄さんの言うこと、全部真に受ける必要ないよ。」
めぐちゃんはそう言うと、いつかのように拗ねたように口を尖らせた。
梶君は、淳君の髪を撫でながら、「そうだよ」と小声で言った。
淳君はしばらく無言のまま黙っていたけれど、やがて腕で顔を隠した。
梶君は淳君を撫でながら、私たちを振り返る。
「風野も日野も、教室戻っていいよ。
もうすぐ5限始まるし。」
こいつは大丈夫だから、そう笑って言われ、私たちは教室へ戻ることにした。
帰りのHRの際、遅れて教室へ入って来た鈴木たちを見て、担任がギョッとした。
「鈴木君たち、それどうしたの。」
担任に言われ、彼らはあざがついた顔を何度も擦った。
動揺する担任に比べてクラスメートたちはシラッとした表情のまま彼らを振り返ることもなかった。
HRが終わり教室を出ると、木山君とぶつかった。
「ごめんなさい!」
とっさに敬語で頭を下げてしまい、ハッとする。
慌てて顔を上げると、木山君は笑いながら「いいよいいよー」と言った。
彼の制服が妙に汚れているのが目に入り、私は思わず声をあげる。
「もしかして、鈴木君たちを殴ったのって……。」
そう言いかけた私の口を、木山君はそっと片手で塞ぐ。
「内緒ね。」
そう小声で言うと、彼は階段を下りて行ってしまった。
梶君と、付き合い始めた。
付き合おう、帰り道にそうポツリと言われて、私は無言で頷いて。
中学時代なら想像もできないほど私の毎日は色鮮やかだというのに、どうして気持ちが重いのだろう。
まるで、かつての自分を別の立場から見ているように、私は自分より可哀想になっていく同級生を、遠目からジッと眺めている。
前よりずっと、人の気持ちに疎くなったような気がするのだ。
屋上へ行く足は重く、教室での気分は暗く。
それでも自分が何を思い悩んでいるのかが少しも分からなかった。
「生理キツいよー。」
そう言いながら机に突っ伏しているめぐちゃんの頭を撫でながら、私はうっすらと笑みを浮かべる。
「めぐちゃん、屋上行こう?」
めぐちゃんは珍しくまとめていない髪を掻き上げながら顔を上げ、教室を見渡した。
「そう言えば木山淳、下駄箱に靴あったのに教室来てないじゃん。」
屋上へ行くと、男子たちはもう全員半袖になっていた。
浅井君にヘッドロックをしていた梶君が私を見ると慌てて浅井君を離す。
爽やかに手を振られ、私も笑顔で振り返した。
「木山君いなくない?」
私は屋上を見渡して言った。
「……そういや遅いな。電話するか。」
浅井君が変えたばかりのケータイを操作し、木山君に電話をかける。
電話はすぐ繋がったらしく、浅井君はいつもの調子でケータイに向かって話しかける。
けれどすぐ、屋上に「はぁ!?」とか「何キレてんだよ!!」という浅井君の怒声が響いた。
私は慌てて耳を覆う。
浅井君は苛立たしげにケータイを切って、梶君を振り返った。
「なんか木山が超不機嫌なんですけど。」
梶君は「またかよ」と面倒そうに言いながら焼きそばパンをかじる。
「暇だし、久し振りに買い出しじゃんけんやるか。」
梶君が思い付いたように言い、屋上を見渡す。
お弁当を食べ終わったみんなは、やる気のない声で「いいよ-」と答えた。
「お腹痛いのに最悪ー。」
そうぼやきながら、めぐちゃんはジュースのパックが人数分詰まったビニール袋をぶら下げて、階段を上る。
それに付き合った私も、お菓子の詰まったビニール袋を片手に提げていた。
屋上へと階段を小走りに上がり、踊り場の水飲み場へとさしかかった時だった。
「もういいよ、お前要らねーよ。」
苛立ちを隠さない怒声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声に、私は慌てて声のした方へと駆け寄る。
水飲み場の前には、淳君と木山君が立っていた。
淳君は腫れ上がった顔に湿布や絆創膏を貼っていた。
木山君は彼の胸ぐらを両手で掴んだまま、思い切り睨み付けている。
「木山君、止めようよ。」
めぐちゃんが慌てて彼らに駆け寄って、木山君の腕を掴む。
木山君は苛立ったようにケモノのような奇声を上げて、めぐちゃんを振り払った。
その弾みでめぐちゃんが地面へと尻餅をつく。
慌てたように淳君がめぐちゃんに駆け寄ろうとしたけれど、その背中を木山君は踏みつけた。
淳君の代わりに、めぐちゃんが悲鳴を上げた。
野球部員たちが来たのは間もなくのことだった。
梶君と浅井君が2人がかりで木山君を押さえつける。
めぐちゃんは淳君を抱き起こし、怯えたように木山君を見上げていた。
「言い訳あるなら言えよ。」
木山君が淳君を見下ろしたまま荒い声で言う。
騒ぎを聞きつけたAクラスの生徒たちが階段まで様子を見に来ていた。
「お世話になった養父から金盗んで恥ずかしくないの?お前。」
木山君の言葉に私は驚いて淳君を見た。
――金ってもしかして……。
私は淳君の前に腰を下ろして、彼の顔をのぞき込む。
「クラスの人達に、言われたの?」
私が訊ねても、淳君は黙ったまま答えようとしなかった。
「木山君、淳はクラスの奴らに嫌がらせされてるんだよ。」
そう言おうとしためぐちゃんの口を、淳君が慌てたように押さえた。
木山君が眉をしかめる。
「知ってるよ。こいつ小学校の時も中学の時もいじめられてたし。」
梶君が木山君の胸ぐらを両手で掴んだ。
木山君を払いのけようともせずに、梶君を睨む。
「いじめられるのは、こいつに問題があるからだろ。
そんなもん真っ向からやり返せばいいだろ。
わざわざ養父の財布から金抜き取るような馬鹿な真似しなくたって……。」
木山君の言葉はそこで止まった。
梶君が勢いよく木山君の頬を殴った。
木山君は数歩よろけて、殴られた頬を押さえる。
彼は梶君に文句を言おうとして、それを飲み込む。
そのまま淳君へと視線を移して、吐き捨てるように言った。
「お前なんかが弟だと思うと、虫酸が走る。」
木山君が階段を上って行くと、Aクラスの生徒たちが慌てたように道を開ける。
梶君と浅井君は木山君の背中を睨み付けていたが、やがて淳君とめぐちゃんの前に座り込んだ。
「お前、その顔どうしたよ。」
浅井君が淳君の顔に手を伸ばしかけた時だった。
急に淳君が胸と口を押さえた。
喉がビクビクと痙攣し始めるのを見て、私は思わず身構えた。
「やば……過呼吸じゃん。」
浅井君が舌打ち混じりに言う。
私は慌ててお菓子を床へと散らして、空になったビニール袋を淳君の口へと押しあてる。
「ゆっくり息吸って、吐いて。」
梶君が淳君の背中をさすり始める。
初めて過呼吸を見たのか、めぐちゃんは怯えたような表情を浮かべたものの、淳君を抱えたままジッとしていた。
ビニール袋は呼吸が繰り返される度に唾液で形を崩していく。
その場を動くこともできず、私たちは淳君の呼吸が戻るのを待つしかなかった。
淳君を保健室まで運んだ浅井君は、ソファに腰をおろしながら半袖シャツを脱ぐ。
「汚れた、最悪。」
そう眉をしかめた彼に、保険医さんが「そういうこと言わないの」と低い声で注意した。
めぐちゃんは突き飛ばされた時に手のひらをすりむいたらしく、自分で消毒液や絆創膏を棚から取り出して手当をしていた。
「それ、養父にやられたんだろ。」
梶君が淳君の枕もとに腰を下ろしながら言う。
淳君は無言のまま梶君を見上げ、すぐ視線を逸らした。
「私、担任の先生のところに行ってくるから、後は任せるね、風野さん。」
保険医さんに名指しで言われ、私は浅く頷いた。
浅井君はブツブツと文句を言いながら、保険医さんと一緒に保健室を出て行く。
手に絆創膏を貼り終えためぐちゃんが、淳君のベッドへと近付いて行く。
「あれくらいで一々過呼吸にならないでよ。」
めぐちゃんの不機嫌な声に、淳君が無言のまま顔をしかめる。
「家族に甘えたいっていう気持ち、分からないわけでもないけど。
あんな酷いお兄さんの言うこと、全部真に受ける必要ないよ。」
めぐちゃんはそう言うと、いつかのように拗ねたように口を尖らせた。
梶君は、淳君の髪を撫でながら、「そうだよ」と小声で言った。
淳君はしばらく無言のまま黙っていたけれど、やがて腕で顔を隠した。
梶君は淳君を撫でながら、私たちを振り返る。
「風野も日野も、教室戻っていいよ。
もうすぐ5限始まるし。」
こいつは大丈夫だから、そう笑って言われ、私たちは教室へ戻ることにした。
帰りのHRの際、遅れて教室へ入って来た鈴木たちを見て、担任がギョッとした。
「鈴木君たち、それどうしたの。」
担任に言われ、彼らはあざがついた顔を何度も擦った。
動揺する担任に比べてクラスメートたちはシラッとした表情のまま彼らを振り返ることもなかった。
HRが終わり教室を出ると、木山君とぶつかった。
「ごめんなさい!」
とっさに敬語で頭を下げてしまい、ハッとする。
慌てて顔を上げると、木山君は笑いながら「いいよいいよー」と言った。
彼の制服が妙に汚れているのが目に入り、私は思わず声をあげる。
「もしかして、鈴木君たちを殴ったのって……。」
そう言いかけた私の口を、木山君はそっと片手で塞ぐ。
「内緒ね。」
そう小声で言うと、彼は階段を下りて行ってしまった。