・*不器用な2人*・
第25章/同窓会
7月の始め。

小学校の同窓会の案内が届いた。

夏休み中に母校の体育館に集まって近況報告をしようという催し。

6年生の時の担任が亡くなった為、その追悼を兼ねているらしい。

葉書を眺めながら私はついボーッとしてしまう。

小学6年生の時、私はどんな子どもだったのだろうか。

友達と呼べる人は1人でもいただろうか。

嫌いな男子はいただろうか。

記憶が薄れてきていて、ほとんど思い出せなくなっていた。

屋上は心地よい風が吹いている。

私の横で同じく葉書を見ていた梶君が溜息をつく。

「死んだんだな、秀雄。」

そう言われ、私は頷く。

「私たちの年で定年だったし、元々身体が悪かったんだよね。」

秀雄先生。白髪頭のおっとりした男性教員。

悪い人ではなかったはずなのに、いい思い出が1つもない。

「俺らがムリさせてたのかもな。」

梶君はそう言いながら、葉書の出欠席欄「出席」と書き入れた。




小学生の時、私はクラスに参加していない生徒だった。

中学受験を控えていたから放課後はまっすぐ家に帰ってお勉強だった。

クラス全員での居残りだとか、みんなで遊びにいく計画だとか、そういうものにも不参加。

秀雄先生は私が受験することを知っていたから何も言わなかったけれど、一部の女子たちには付き合いが悪いということで睨まれていた。

そして、そのクラスには梶君がいて、今よりずっと明るくてやんちゃで、背の高い男子たちと一緒によく秀雄先生に怒られていた。

「秀雄に、1度だけすごい殴られたことがあった。」

帰り道、肩を並べて歩いていた時、不意に梶君が言った。

「どうして殴られたのかまったく分からなくて、それきり秀雄のこと嫌いになって、ずっとあいつが怒ることばかりしてた。」

「それっていつの話?」

私が訊ねると、梶君は指を折りながら時をさかのぼり始める。

やがて彼は「小5の夏」と答えた。




「5年の時同じクラスだった保坂って女子、母親がお水で父親は無職っていう俺らの小学校には不釣り合いな奴だった。

あいつの父親、すっごい見た目してて、保坂に何か不利益があるとすぐ学校に乗り込んでくることで有名で、先生たちもみんなビビっちゃってたらしい。

だから、保坂が何かやらかしても絶対に保護者に連絡を入れないし、保坂にも注意をしなかったんだ、秀雄も。

保坂は派手な女子とつるんで大人しい奴に嫌がらせばかりしていて、ある日見かねた男子たちが俺に相談を持ちかけてきた。

保坂を何とかしようって。」

そこで彼らは計画を練って、保坂さん1人を取り囲んで彼女を説得しようとしたらしい。

けれど男に取り囲まれた経験のなかった保坂さんは泣き出してしまい、そこを他学年の先生に見られてしまったという。

秀雄は計画を立てた男子ではなく、梶君を代表で殴ったらしい。

何の説教もなかったという。

何がいけなかったのか、何も説明せずに「馬鹿野郎」という言葉のみで。




「それから俺らはへそを曲げて秀雄を挑発しまくったけど、秀雄は本気で怒ることは2度となかった。

いつも義務みたいに表面だけで怒るだけ。

もう俺らのことなんて嫌いになったんじゃないかとか、諦められたんじゃないかとか思うと悔しくて、どんどんエスカレートして。

最後は日誌に秀雄の悪口を書き込んで提出したりとかして……。」

そう言いながら梶君は顔を歪めた。

「なんであんなガキみたいなことしたんだろう……。」

そう言いながら乱暴に目を擦る梶君を見て、私は少しだけ慌ててしまった。

何と声を掛けて良いかも分からずに、黙って彼を見上げる。

「本当に死んじゃったんだな、秀雄。」

梶君の言葉に私は深く頷いた。

「もういないんだよ、先生は。」

そう言うのが苦しかった。

梶君の辛さが分かるから、私まで泣きそうになる。

――梶君は悪くない。

そうハッキリ言いきることができない自分を、もどかしく思った。




第2土曜日。

かつてドッジボールをした体育館には、会議用の安っぽい長机とパイプ椅子が並べられていた。

近くのコンビニで用意したと思われる1Lのペットボトルが床に何本も並べられていて、いかにも小学校の催し事、と思われた。

梶君が言っていた保坂という女子も来ていた。

進学をしなかったらしく、金色に染め上げられたキシキシの髪を派手にカールさせ、キャバ嬢のように華やかな格好をし、ふざけているのかと思う程典型的な衣装に身を包んでいた。

以前スーパーの横で会った男子たちも来ていて、私と梶君に気付くと大きく手招きをしてくれた。

「久し振り、風野さん。
梶も中学以来。」

彼らに言われ、梶君はぎこちなく笑う。

「来てるんだってよ、秀雄の奥さん。」

男子たちは声を潜めて言うと、梶君のように暗い表情を浮かべる。

梶君と一緒に保坂さんを囲んだのは、彼らだったようだ。

私は何とも言えない空気の中、体育館を見渡す。

卒業から4年。

当然のようにみんな背が高くなっていて、髪型も服装も変わっていて、女子なんて化粧をしているから、誰が誰だかパッと分からない。

そんな中で、担任が座るべき席に座っている年老いた女性が目に付いた。




黙祷、あいさつ、食事。

同窓会はプログラム通りに進んでいき、そのうち談話の時間になった。

私は梶君や男子たちと一緒に体育館の壁にもたれて高校の話をしていた。

めぐちゃんという可愛い女の子と友達になったこと、野球部にいる歯に衣着せぬ物言いの浅井君、お兄さんのような風格の木山君、同じクラスでちょっと訳ありの淳君……彼らの話をしながら、「私たちは元気です」ということを伝えた。

高校進学を諦めた彼らだったけれど、私たちの話をうっとうしがることなく、まるで自分たちのことかのように聞いてくれた。

男子たちが相づちをぴたりと止めた時、梶君も口を噤んだ。

秀雄先生の奥さんが私たちに近付いて来たからだった。

梶君が姿勢を正すのを模して、私たちも背筋を伸ばす。

「梶晴也君、ですよね。」

彼女に言われ、梶君が無言でゆっくりと頷いた。

「ここ数年、主人がずっとあなたの話ばかりしていたから、どうしても1度会っておきたくて。」

そう言われた梶君が、喉を大きく波打たせるのが分かった。

自然と私も緊張してしまう。

「先生は、俺のこと恨んでいたんですよね。」

梶君の低い声に、奥さんはジッと彼の目を見る。

「『自分は今も梶に許して貰えていないだろうか』。
毎晩のようにそう言っていましたよ。」

奥さんはゆっくりと何かを食べるかのように言葉を紡いだ。

もどかしそうにそれを聞き取った梶君は、相変わらず表情を和らげることがない。

彼の手をすぐにでも握ってあげたかったのに、私も動くことができなかった。

「『あの小学校で教えていた自分のことが誇りだけど、ただ1つ胸を張れないことがあるとすれば、公正な生徒に理不尽な暴力を振るったことだ』。
そう言っていました。」

男子たちが梶君を見る。

傍で聞き耳を立てていた生徒たちも、こちらの様子をうかがっていた。



「許すわけありません。
どうして怒られたのかすら分からなかったし。

その後はどれだけ悪さをしても真剣に向きあってもらえなかったし…。

先生は俺みたいな生徒のことはもうどうでもいいんじゃないかって。

結局は問題をかかえている生徒だけが大事なんだって、ずっと思ってました。」

秀雄先生の奥さんは梶君を哀れむかのように優しい表情のまま頷く。

分かっています、そういう態度に私は腹が立った。




「梶君を怒ったのは、保坂さんの家庭事情や先生たちの意図を汲んでくれるのが、梶君だと思ったから。

彼は1番そういうことに敏感で、賢い生徒だったから。

他の生徒を怒るより彼1人を怒れば物事が丸く収まる…。

主人はそう思ったそうです。

1年の時からずっと見てきた、1番信頼できる生徒だったから。

誰よりも優しくて賢くて公正で……先生からも生徒からも好かれるような生徒だったから。」

奥さんの言葉はあまりにも身勝手で、結局は秀雄のしたことの弁解にしか過ぎなかった。

なのに、小学校の6年間梶君をずっと見てきた秀雄先生はさすがで、梶君のことを理解していた。

1人大人びた梶君にすべてを押しつけてしまった公開を引き摺りながら秀雄先生は死んでいった。

梶君に謝ることもできず、許してもらうこともできないまま。

「卒業式の日、先生は卒業証書を私ながら生徒1人1人に声をかけていたんです。
なのに、俺だけは何も言ってもらえなくて、先生にとって俺なんてどうでもいい生徒だったんだなって……思って、」

梶君の言葉が途切れた。



「これのこと、ですよね。」

秀雄先生の奥さんが古びた手帳を梶君に渡す。

手帳をのぞき込んで、私は懐かしさに襲われた。

『風野綾瀬:真面目に6年間勉学に励んできた君の努力が、これから先報われますように。楽しい学生生活を送ってください。』

そこに書かれている言葉は、私が卒業式の日に秀雄先生から言われたものだった。

ずらりと生徒全員分、秀雄先生からのメッセージが書かれている。

男子たちが、「俺、これ秀雄に言われた」と覗き込みながら呟く。

出席番号9番の私の下には出席番号10番の梶君の名前が書かれていて、そこには他の生徒よりも丁寧な字でメッセージが書かれていた。

『梶晴也:誰よりも真面目で素直な梶君の周りにはこれからも人が絶えないでしょう。君の優しさを本当に理解してくれる人がきっと現れます。君の真っ直ぐな性格を認めてくれる人が現れます。これからもずっと素直な梶君のままでいてください。』

書き直しの跡がたくさんあった。

これを書いている秀雄先生はどんな気持ちだったのだろう。

どうしてこれを言えなかったのだろう。


1人1人の生徒をずっと見てきた先生は、全員に心のこもったメッセージを用意していた。

そのすべては温かい言葉で、秀雄先生の愛情がしっかりと詰まっていて。

その愛情は梶君にもしっかりと用意されていたはずだった。

梶君が手帳を奥さんの胸に押しつけて、体育館を走って出ていった。


職員駐車場は休みの日でも3台だけ車が止まっていた。

コンクリートの地面に座り込んだ梶君は、いつもよりちいさく見えた。

「梶君はどうでもいい生徒なんかじゃなかったんだよ。
他の生徒よりもずっと、大事に思われていたはずだよ。」

彼の隣りに座り、そう言った。

梶君は鼻をすすりながら膝に顔を埋める。

「俺だって、秀雄のこと嫌いじゃなかった。
死んで欲しいなんて思ってなかったし、低学年の時みたいに褒めてもらいたかったし、悪いことした時は怒ってもらいたかったし…。
秀雄のこと好きだったよ。」




嗚咽しながら鼻をすする梶君は、まるで小学生の男の子みたいで、私の知っている彼とは違っていた。

これがきっと、秀雄先生が好きだった「梶君」なのだと思えた。

入学時より随分と伸びた彼の髪を、先ほど男子たちがしていたみたいにクシャクシャと撫でてみる。

梶君は別に振り払うわけでもなく、ジッと動かなかった。

「先生の言っていた通り、梶君の素直さは認めてもらえるし。
優しい梶君のことが好きな人はいっぱいいるよ。
だからもう…。」

そこから先の言葉が言えなかったのは、梶君が声をあげて泣き出したから。

小学5年生の時からようやく時間が進み始めたのだと、鳴り響くチャイムを聞きながら悟った。




< 25 / 114 >

この作品をシェア

pagetop