・*不器用な2人*・
第30章/浅井君の中学時代
翌日。

昨日より遅めに学校のグラウンドへ行ってみると、芝生の上に井上君が1人で座っていた。

グラウンドには人影がなく、知っている人は他にいない。

「野球部、どうしたの?」

私が声をかけると、井上君は目にかかる前髪を撫でながら「部員が熱中症で倒れちゃって病院行ってる」と答えた。

とっさに「浅井君?」と訊ねると、井上君は「先輩」と短く答えた。

「野球部ってハードだよね……。
俺、小中ずっと文化系の部活だったから全然付いていけないや。」

井上君はそう言いながら立ち上がると、私を見下ろす。

「じゃあ、野球は高校が初めて?」

私が訊ねると、彼は頷く。

「ずっと運動なんてやるつもりはなかったんだけど…。
浅井の傍にいる為には野球部に入るしかないのかなって。」

目を細めながらそう言うと、井上君は校舎へ入って行こうとする。

私は慌ててその後を追った。

「井上君は、浅井君といつから仲良かったの?」

その質問に井上君は振り返らずに答える。

「小学校の時と、高校入ってから。」

中学が抜けている、とすぐに思った。

井上君が静かな声で言う。

「浅井のこと絶対に嫌いにならないって約束してくれるなら。
教えてあげるよ。」




屋上のベンチに腰を下ろしながら、井上君は少しずつ浅井君との小学生時代の話をしてくれた。

「足が速い奴って無条件にモテるでしょ。
だから浅井は背が低かったくせにやけにモテて、男子からも女子からも人気だった。

それに引き替え俺は背は高いし勉強もできたけど運動がダメだったから全然…。

でも、1年生の頃からの仲は不思議と高学年になっても続いた。

互いに足りないものを補い合っていたというか…。」

浅井君の家はお父さんが早くに亡くなっていて、お母さんは水商売で生計を立てていたらしい。

そのお母さんが再婚の話を出したのが彼らが小学4年生の時で、浅井君は自宅に知らない人がいることに耐えられず、よく井上君の家に寝泊まりしていたらしい。

井上君の家族は浅井君のことを実の息子のように可愛がって、食事も寝床も惜しみなく与えたという。

浅井君と井上君の関係が壊れたのは、小学校の卒業式から数日経った時だったらしい。




「友達数人で遊びに行った時にね、そのうちの1人が道端に停めてあったバイクを倒しちゃって、バイクに傷が付いたんだ。

そのバイク、近所に住むガラの悪い高校生のもので、戻ってきた高校生が倒れたバイクを見てすっごく怒って、誰がやったんだーって話になった。」

正確には誰がやったかは分からなかったらしい。

けれど、バイクが倒れた時男子とじゃれ合っていた浅井君なのではないかという話になり、浅井君が代表で謝ったらしい。

謝れば済むと思って浅井君は代表として謝ったけれど、それだけでは話は解決しなかったという。

「バイク代を弁償しろって言ってその高校生が有り得ない金額を請求してきた。

その場にいた男子たちは即座に逃げちゃって、残ったのは俺と浅井の2人だけだったかな。

高校生は俺に見向きもせずに浅井にだけやけに絡んで、浅井がその場で断ろうとしたらいきなり殴りかかって脅した。」

浅井君はバイク代を払うことになったものの、小学校を卒業したての子どもにそんな金額は到底払えず、かと言って親にも相談することもできず、1人で悩んだらしい。

その結果、一緒にその場に居合わせた友達にどうしようかと相談した。

「でもみんな、所詮は春から中学生のガキだから、そんな値段ムリだし、何よりヤンキーと関わったなんて親に相談できないからさ。

浅井は代表にされただけでなく、見捨てられて逃げられて、あげく責任もすべて押しつけられて、結局なん百万の借金を中学1年生の春に背負うことになった。」




自分の貯金は当然すべて渡したらしい。

幼い頃からのお年玉は合計で5万円程度で、バイク代には少しの足しにもならなかった。

早く払わせる為に高校生は仲間を呼んで、浅井君に何度も催促をしたらしい。

明るくやんちゃをしていたものの喧嘩や暴力に慣れていない浅井君は、殴られることすら怖くて、お金を集めるのに必死だったという。

「親の財布から金を抜き取ることも何度もしていたけれど、そのうちバレて散々怒られて理由も問いただされたんだって。

でも、どうしてもバイクのことを話せなくて、家庭内の空気はさらに悪化して、浅井もだんだん余裕がなくなってきた。」

浅井君の苛立ちの矛先は、現場にいた友人たちに向いたらしい。

彼らにお金を出すよう、最初は低姿勢でお願いしていた浅井君も、追いつめられると徐々に口調が荒くなり、高校生たちにやられたように暴力で脅し始めた。

友人たちも罪悪感が多少はあった為、浅井君に言い返すこともできず、彼らもまた親の財布からお金を抜き取って浅井君に渡した。

それだけ頑張っても結局は限界があり、他の子供たちも親にバレると問いただされ、浅井君に言われたと白状し、浅井君は結局カツアゲ犯として学校中から睨まれることになったという。

周りから白い目で見られれば見られるほど浅井君のカツアゲの頻度は悪化していき、徐々に彼は小学生時代の面影が消えていったという。




「目つきがすごく悪くなって、いつも何処か焦点の合わない場所を睨んでいたし、顔色も悪くて貧乏揺すりも酷くなって……神経質になってた。

元々ストレスとかプレッシャーに弱い奴だったから、その頃摂食障害になって、少しでも何かを食べるとトイレに駆け込んだりしていたから。

それで見かねて俺が声を掛けたのが、中1の冬。」

井上君に声をかけられた浅井君は、あくまでも強気に言い返していたらしい。

井上君が自分の親に掛け合ってお金を用意すると提案すると、浅井君はすぐに顔色を変えてそれを断ったという。

お世話になった井上君の両親には絶対に迷惑をかけたくないし、あの時逃げないで傍にいてくれた井上君に酷いことはしたくない、あくまでそう言い張ったという。




「結局、どうやってその話は解決したの?」

彼は俯いたまま、「中2の夏に」と答えた。

井上君は浅井君に止められたものの、結局は自分の両親にすべてを話し、お金を用意してもらったらしい。

勿論すぐに出せるような金額ではなかったから、少しずつの節約でお金を貯め、指定された金額が用意できたのは冬になってからだった。

井上君が1人だけで例の高校生(その時はもういい大人)の元へと出向いて、お金を手渡したらしい。

元々いじめの種の為にお金の催促をしていただけだった彼らは突然手渡された大金に恐れおののいてしまい、それ以来浅井君に手を出すことはなくなったらしい。

「解決してからも、浅井は俺と顔を合わすのを嫌がったし、今更学校に馴染むこともできなかった。

結局卒業までいじめをしたっていう事実はつきまとった。

内申もひどかったから、入れる高校はここだけだった。

俺は他にも色々な高校を担任に勧められたんだけど、腐れ縁の浅井と離れるのも嫌だったし、そのできごとがあってもうちの親は浅井のことが好きだったから、結局は2人でここに入学した。」




井上君の家からお金をもらってから、ヤンキーたちは浅井君に1度だけ会ったらしい。

――あんな冗談真に受けてバカじゃねーの。

そう言われた浅井君は、自分が今までしてきたことがどれほど大変なことだったかを痛感し、取り返しのつかないできごとに頭をかかえたらしい。

中学の卒業式の時、浅井君はバイトが決まったことを井上君の家族に報告した。

どれだけかかるかは分からないけれど、絶対に払ってもらった金額は返す。

バイトの連絡先を手渡された井上君の両親は、小学生の頃とすっかり変わってしまった浅井君を見て驚き、また突然の申し出に慌て、そんなことはしなくてもいいと断ったらしい。

浅井君の家庭は不仲が治まっておらず、無茶なことはさせたくなかったのだろう。

それでも浅井君は井上君ともう1度友達になる為には借金なんてあったら困ると言い張り、春から毎日バイトに通っていたらしい。

「未だに地元で浅井は白い目で見られているし。
実際浅井が同級生に暴力を振るって金を貰っていたことも事実。」

井上君は私と視線を合わせる。

「俺は浅井のことが好きだから、あいつのこと弁護しながら話しちゃったけど。

でも当時の浅井は本当に怖かったし、一部の生徒は浅井が怖くて学校に行けなかった。

今仲が良いからっていう理由だけで、梶君とか木山君とか風野さんが浅井を受け入れてくれるとはとても…」

井上君はそう付け加えた。

けれど、浅井君と仲が良いから情が移ったというだけではなく、私は浅井君のしてきたことを聞いても彼を嫌悪するまでには至らなかった。

今まで彼に抱いていた気持ちに少し曇りができたことは否定できないにしても。

高校に入って最初にできた友達が梶君だとしたら、2番目にできた友達は浅井君だった。

何の面白みもない私にもたくさん話しかけてくれて、時には直球過ぎる質問に戸惑うこともあったけれど、いつも明るい気持ちにさせてくれた。

私は浅井君のことを嫌いには多分なれない。

グラウンドに賑わいが戻って来た。

フェンスから下を見て、井上君が「行かなきゃ」と呟く。

屋上から走って出て行こうとする彼の背中に、私は慌てて声を掛けた。

「私、中学でいじめられてこの高校に入って来たから。

どんな理由があってもいじめって嫌いだし、いじめをする人も嫌い。

だから浅井君のしたことを肯定する気にもなれないし、気にしないなんて断言できない。

でも、ひいき目で見なくても、浅井君のことを嫌いになったりはしないよ、私。」

彼にお金を取られた生徒の気持ちを考えると、浅井君のことを肯定なんてとてもできないし、当時の彼と私が仲良くなれるなんて絶対に思えない。

それでも、私は今の浅井君が好きだ。

辛いことがたくさんあったのに、明るく普通の高校生をしている彼のことが好きだ。

井上君は少しだけ振り返ってちいさく笑うと、駆け足で屋上を立ち去って行った。

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