アイドルと・・・
 「また夜シフトなのか」
彼の心配そうな声に、仁美は笑って答える。

 「だって、深夜手当てがおいしいもん」
役者を目指す彼と暮らすには、仁美の稼ぎだけが頼りだ。

それでも仁美は、辛いと思ったことは一度もない。
どちらかといえば甘えられ、頼られるほうが性に合っている。

少しおどけて口を尖らせると、彼が軽く唇を重ねた。
 「うん、今日も一日頑張れそう!」
にっこりと笑って出かける仁美は幸せに満ちていた。


……またこの人か。
今日の客は超人気アイドルの『トモキ』だ。
営業所に電話して、必ず仁美を指名する。
 「行き先は……判ってるだろ?」
何度も指名を受けたのだ。聞くまでもないが。

 「ご自宅でよろしいんですね」
 「そ。事務所のご意向ですからね」
 
三十も目前に迫った彼は年齢的に崖っぷち。
余計なスキャンダルは避けたいということだろう。

トモキは鞄から台本を取り出し、目を落とす。

車中での行動としてはいつものこと。
だが今夜は、ため息をつく姿がバックミラーに映りこんだ。

 「集中できないんですか? 
 何か曲でもおかけしましょうか」
 「ん、それよりもさあ、
 恋の相談にのってくれない?」
 「恋をなさっているんですか?」
 「そ。俺のコイバナ、聞きたい?」
 「いえ、私はドライバーであって
 週刊誌の記者ではありませんから」
 「そういうことじゃなくってさ
 ……俺ってそんなに魅力ないかな」
 「失恋したんですか?」
 「失恋どころか、
 気づいてももらえないんだよ」
 「ご高名なアイドルに好かれて、
 嬉しくない女の子なんて
 いないと思いますけど?」

防犯用の仕切りを、整えられた爪先が叩く。
 「アイドルなんて、
 俺の一番取り繕った部分じゃん?
 本当の『智樹』はあんなに
 いい男じゃないよ」
 「でも、帰りの車の中で
 ちゃんと台本のチェックをしたり、
 一人反省会をしたり、
 するべき努力はなさっている
 じゃないですか。
 きっと根は真面目なんだろうと、
 少なくとも私は思っていますけど?」
 「本当に?」
 「ええ。」
 「もっと、俺を知ってくれない?」

小さな料金受け渡し口から鍵が差し込まれる。
 「俺も、君の甘える姿を知りたい」
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