闇夜に真紅の薔薇の咲く
耳朶に響くのはどこまでも優しげなノアールの声。


顔をあげれば、涙で霞む視界に入ったのはいつも通りの彼の表情で、先ほどの激しい感情は欠片も見えない。


一瞬、夢だったのかと疑うほどにいつも通りの彼。


それが何故か、朔夜は嫌だった。自分でもよくわからないけれど、嫌で。


脳裏に見たこともない光景がちらつく。


美しい黒髪に紅い瞳をもった幼い少女が、彼女と同年代らしき少年を抱きしめまるで母親が子供をあやすように、背中を軽く叩き、彼女は穏やかな微笑を浮かべながら言葉を紡ぐ。




「――バカね。強がって我慢なんてしなくていいのよ。何か辛いことがあれば、私に言いなさい。約束よ?」

「――っ!!」

「朔夜ちゃん?」



 
誰かが息を詰める気配と、ルイの訝しげな声をきいて朔夜ははっと我に返る。


自分は、今何と言っていたのだろう。


ほんの僅かな間の記憶が酷くあやふやだ。


ただ、少女と少年の姿だけは酷く脳裏に焼き付いていた。


突然な不可思議な現象に、朔夜は小首をかしげる。


風邪でもこじらせてしまったのだろうか、と的外れな疑問を抱いていると、ふと眼前のノアールが目を見開いたまま固まっていることに気づいて目を瞠った。


朔夜の背中に腕をまわした状態で、彼は呆然と彼女を凝視している。


石化してしまったように微動だにしないノアールは、目の前で手を振ってもぴくりとも動かず流石に心配になった朔夜は少し考え込み、つんつんと彼の綺麗な頬を突っついた。




「……ノアール?」

「……」



応答はない。


一体どうしてしまったというのだろう。


あやふやな数分間の間に、一体何が起こったと言うのか。


助けの視線をルイに送ると、彼はいつも通りの薄い笑みを浮かべた表情でこくりと頷いた。


こちらに歩み寄ってくると、軽くノアールの肩を叩く。反応が返って来ないことを確かめると、彼は不意にノアールの耳元に唇を寄せると何事かを囁く。



瞬間、ノアールは目を見開いてルイをきつく睨む。心なしか、朔夜を抱きしめる腕に力がこもったような気がするけれど、気のせいだろうか。

















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