夢現
椅子
喜べる事がないわけではない。
怒りを感じる事がないわけではない。
哀しい事がないわけではない。
楽しさを感じる事がないわけではない。
ただ、空なんだ。
それが幸せとも、不幸とも感じられない。
雑然とした自分の部屋から空を見る。
建物と建物の隙間に、ほんの少し遠くの青が見える。
吸うわけでもないのに、火をつけたままにしていた煙草の火を消す。
財布をポケットに入れて、玄関のドアを開けた。
外に出てみても、空は四角いまま。
自分の部屋と違う事と言えば、靴を履かなくてはならない事と風が吹いている事くらいなものだろうか。
ぼんやりと道を歩く。
はたと足を止める。
目の前には駅。
習慣というのは染み着くものなのだなと思った。
特に行く場所もないけれど、そのまま駅に入った。
いつも通りの風景。
「お兄さん、落としましたよ」
突然の声。
僕は思わず振り向いた。
小さな子供が僕を見上げてにこにこと笑っている。
しゃがみ込んで、子供の視線と合わせる。
子供が手を出した。
僕も反射的に手を出した。
子供から渡された物。
一枚の切符。
僕は少し困りながら言った。
「それは僕のじゃないよ」
子供は首を傾げた。
お互いに困った顔で見合わせる。
「じゃあこれ、駅員さんに届けようか」
僕が言うと、子供はそのまま駅員室に向かって走って行った。
子供の体力はすごい。
すぐ側の駅員室に行くだけなのに見失ってしまった。
子供がいなくなってしまったので、とりあえず一人で駅員室を覗く。
休憩中なのだろうか?
入り口のドアにある窓はカーテンが閉められていて、中の様子が分からない。
試しにドアノブを回してみるけれど回らない。
まあ、改札に行けば誰かいるだろうと思い、改札側に行く。
いつもなら、小さな窓から一人二人の顔が見えるのだが、こんな時に限って誰もいない。
たくさんの人が自動改札を行き交うだけ。
思わずため息が出た。
手に残った切符を見る。
見慣れない駅名。
路線図で確認すると、普段僕が利用しない沿線のようだ。
もう一度切符を見る。
僕は少しだけ迷った後、改札を通った。
自分でも「何をしているのだろう」と疑問に思うけれど、事実誰のものとも分からない切符で改札を通ってしまった。
ホームに入ると、すぐにその路線の電車がきた。
自然と、足が電車の中に僕を連れて行く。
窓際の席に座る。
電車は走り出した。
見慣れた景色を通りすぎ、どんどん知らない町へと揺られていく。
最近の事を色々と思い返した。
思い返しているうちに、少し昔の事を思い出した。
そして時間が進んでいく中で、頭の中は逆行していった。
窓からの景色は小さな町を映し、防風林を抜け、トンネルに入る。
突然窓の中に自分の顔が現れた。
思わず自分から視線を外した。
そうしたら、窓の中の自分も自分から視線を外した。
「大丈夫ですか?」
声をかけられ、頭を上げる。
「ごめんなさい、具合が悪いのかと思ったものだから」
声をかけてくれた人は少し照れくさそうに笑った。
「すみません、ありがとうございます」
僕も笑って返した。
もう一度窓の外を見る。
林のような場所を抜け、町が見えてきた。
切符に書かれていた駅に着く。
少しだけ、とんでもない田舎にでも着かないだろうかと期待をしていたのだが、どこにでもありそうなごく平均的な町並み。
高層ビルが立ち並ぶ、とまでいかなくてもそれなりにビルも店も建ち並ぶ駅前。
まだ学校が終わるには早い時間だろうに、制服姿で笑いながら通り抜ける学生たち。
ずっと携帯をのぞき込んでいる人。
「何をやっているんだ」
思わず、声に出して呟いてしまった。
駅にいても仕方がないので、少し散策してみる。
特におもしろそうな場所もないので引き返そうかと思っていた時、声をかけられた。
「お兄さん、疲れているね」
声の方を振り返る。
庭先から老人がこちらを見ている。
「いえ」
そう言ったのが聞こえなかったのか、老人はにっこり笑った。
「こっちに入っておいで」
そう言ってくるりと背中を向けて奥に行ってしまった。
とりあえず入って行く。
町中だというのに、広さのある庭だ。
大きな木も何本かある。
勧められるまま、椅子に座った。
座ってから体のだるさに気付いた。
温かいお茶を振る舞われる。
老人は何も言わず、にこにこ笑っている。
「素直にならないといかんね」
僕が何も言わずにいると老人は独り言のように言った。
「疲れている事を素直に受け入れないと、良い事も色褪せる」
僕はどう答えて良いか分からず、視線を落とした。
老人はやはり笑っている。
「ところで、その椅子の座りごごちはどうだい?」
ふいにそんな質問をされた。
「いいですね」
ごく素直にそう答えた。
答えた後、少しだけ老人の言いたい事が分かった気がした。
そうすると、実は今日もここに来るまでに良い事がいくつかあったと気づいた。
怒りを感じる事がないわけではない。
哀しい事がないわけではない。
楽しさを感じる事がないわけではない。
ただ、空なんだ。
それが幸せとも、不幸とも感じられない。
雑然とした自分の部屋から空を見る。
建物と建物の隙間に、ほんの少し遠くの青が見える。
吸うわけでもないのに、火をつけたままにしていた煙草の火を消す。
財布をポケットに入れて、玄関のドアを開けた。
外に出てみても、空は四角いまま。
自分の部屋と違う事と言えば、靴を履かなくてはならない事と風が吹いている事くらいなものだろうか。
ぼんやりと道を歩く。
はたと足を止める。
目の前には駅。
習慣というのは染み着くものなのだなと思った。
特に行く場所もないけれど、そのまま駅に入った。
いつも通りの風景。
「お兄さん、落としましたよ」
突然の声。
僕は思わず振り向いた。
小さな子供が僕を見上げてにこにこと笑っている。
しゃがみ込んで、子供の視線と合わせる。
子供が手を出した。
僕も反射的に手を出した。
子供から渡された物。
一枚の切符。
僕は少し困りながら言った。
「それは僕のじゃないよ」
子供は首を傾げた。
お互いに困った顔で見合わせる。
「じゃあこれ、駅員さんに届けようか」
僕が言うと、子供はそのまま駅員室に向かって走って行った。
子供の体力はすごい。
すぐ側の駅員室に行くだけなのに見失ってしまった。
子供がいなくなってしまったので、とりあえず一人で駅員室を覗く。
休憩中なのだろうか?
入り口のドアにある窓はカーテンが閉められていて、中の様子が分からない。
試しにドアノブを回してみるけれど回らない。
まあ、改札に行けば誰かいるだろうと思い、改札側に行く。
いつもなら、小さな窓から一人二人の顔が見えるのだが、こんな時に限って誰もいない。
たくさんの人が自動改札を行き交うだけ。
思わずため息が出た。
手に残った切符を見る。
見慣れない駅名。
路線図で確認すると、普段僕が利用しない沿線のようだ。
もう一度切符を見る。
僕は少しだけ迷った後、改札を通った。
自分でも「何をしているのだろう」と疑問に思うけれど、事実誰のものとも分からない切符で改札を通ってしまった。
ホームに入ると、すぐにその路線の電車がきた。
自然と、足が電車の中に僕を連れて行く。
窓際の席に座る。
電車は走り出した。
見慣れた景色を通りすぎ、どんどん知らない町へと揺られていく。
最近の事を色々と思い返した。
思い返しているうちに、少し昔の事を思い出した。
そして時間が進んでいく中で、頭の中は逆行していった。
窓からの景色は小さな町を映し、防風林を抜け、トンネルに入る。
突然窓の中に自分の顔が現れた。
思わず自分から視線を外した。
そうしたら、窓の中の自分も自分から視線を外した。
「大丈夫ですか?」
声をかけられ、頭を上げる。
「ごめんなさい、具合が悪いのかと思ったものだから」
声をかけてくれた人は少し照れくさそうに笑った。
「すみません、ありがとうございます」
僕も笑って返した。
もう一度窓の外を見る。
林のような場所を抜け、町が見えてきた。
切符に書かれていた駅に着く。
少しだけ、とんでもない田舎にでも着かないだろうかと期待をしていたのだが、どこにでもありそうなごく平均的な町並み。
高層ビルが立ち並ぶ、とまでいかなくてもそれなりにビルも店も建ち並ぶ駅前。
まだ学校が終わるには早い時間だろうに、制服姿で笑いながら通り抜ける学生たち。
ずっと携帯をのぞき込んでいる人。
「何をやっているんだ」
思わず、声に出して呟いてしまった。
駅にいても仕方がないので、少し散策してみる。
特におもしろそうな場所もないので引き返そうかと思っていた時、声をかけられた。
「お兄さん、疲れているね」
声の方を振り返る。
庭先から老人がこちらを見ている。
「いえ」
そう言ったのが聞こえなかったのか、老人はにっこり笑った。
「こっちに入っておいで」
そう言ってくるりと背中を向けて奥に行ってしまった。
とりあえず入って行く。
町中だというのに、広さのある庭だ。
大きな木も何本かある。
勧められるまま、椅子に座った。
座ってから体のだるさに気付いた。
温かいお茶を振る舞われる。
老人は何も言わず、にこにこ笑っている。
「素直にならないといかんね」
僕が何も言わずにいると老人は独り言のように言った。
「疲れている事を素直に受け入れないと、良い事も色褪せる」
僕はどう答えて良いか分からず、視線を落とした。
老人はやはり笑っている。
「ところで、その椅子の座りごごちはどうだい?」
ふいにそんな質問をされた。
「いいですね」
ごく素直にそう答えた。
答えた後、少しだけ老人の言いたい事が分かった気がした。
そうすると、実は今日もここに来るまでに良い事がいくつかあったと気づいた。