晴れ時々毒舌
それから、何年か後に会社が危うくなりながらも、沖縄の工事を受注しました。
普段は、大抵下請けなんですが、孫請けの形で取りました。
この辺りの事情は、長編にもある程度書いてますし、分かりやすくいえば僕は、トンネル工事の作業員として沖縄に行きました。
三十才の時です。
この時の僕の上司のもう一つ上の上司が、四十代半ばで沖縄でもてない男は、本土でもてないぞ!と笑いながらも真剣に何度も言われたのを、覚えてます。
その人も本土に、家族が有りながら沖縄に愛人を、作り子供までいました。
タイとか、ベトナムに、行った時にもそういう人がいたのを覚えてます。
だけど、沖縄は日本ですからね。
僕は、その頃本土に、彼女が居ましたが、まだ三十代で女の子好きですからね。
若いメンバー三人で女の子を、探しに飲みに行きました。
その時に、決めてたのは、車を持っている女の子ってのが、条件でした。
沖縄の北の端になる大宜味村って所に、宿舎が有り、宿舎には本土から十五人ほどの男と炊事のおばちゃんが、一人居ました。
皆で生活しますから、共同の車が、三台しかなくて本土からは、誰も自家用車持って来てなかったんです。