晴れ時々毒舌
会社はトンネル工事を主にしてる下請けの建設会社でした。
僕は、京都でビデオ店の新しい店を出すから店長にならないかと言われて接客業が、向かないと思いそれを機会に辞めました。
まだ、二十二才かくらいだったと思います。
それから、京都の、知り合いに誘われて兵庫県に、トンネル工事の作業員として行きました。
兵庫県から、愛知県、鳥取県とトンネル工事を続けました。
約三年と少しですね。当時は最初は大したお金にならなかったけど、僕は、必死にお金儲けをしたくて頑張り良い時には月に百万円を引かれものが、ありながら軽く超えました。
年収も一千万を超えましたね。
二十代の前半の学歴が、ない人間としては凄かったですね。
もちろん努力もしましたが、バブルが、弾けたとは、いえまだまだ、景気も良かったんです。
そうしてたら、父の会社にいたおじさんが訪ねてきて会社に入れと言いました。
一度は断りましたが、父も来ますし色々な人に頼まれて会社に入りました。