虐め防止対策法案成立国会
時限立法
与党勝利に終わった頃には その兆候すら、見られなかった海外との既得権益防衛の攻防が激化していった。 日本が支援し続けていた領域での油田開発地域で、他経済大国からの、M&Aを駆使した利権取り崩しが真実味を帯びていったのだ。 このままでは、わが国の燃料資源が枯渇することは誰の目にも明らか、、、そう、世論が騒ぎ始めた。代替燃料の開発に遅れをとった日本のエネルギー資源は、極東の彼の地の利権回復以外に、国家の存続危機の回避を画策できない状況ができつつあった。 策略成就変幻自在を 頭脳明晰者の最大醍醐味と習ってきた我が国官僚集団にはジレンマのストレスで 自己破壊を余儀なくされる事態に 苛まれる日々が続いた。

そこで、圧倒勝利の与党に、虐め防止対策法案 なる 練りに練った戦後平和ボケ日本 最大の政治的ギャンブルに討って出たのだ。 選挙に勝っただけが、ギャンブルの勝ちではない。
学校内での”虐め撲滅”の 目に見える形での必要性と枯渇が 必要不可欠な法案成立の条件 となることを 熟知していた。
子供を守るための法案であることを 世論操作しなくてはならない。そのためには、子供たち自身の方向性を一定方向に 集めなくては 難しくなる。  かの学生時代 虐めにあって復讐の鬼と化したこの国の官僚どもに共通の一致した世界観が、世論を 虐め首謀者徹底探索方式による 新たな ”陰湿な虐め拡散”へと 導いていたのだ。 
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