キスの意味を知った日

それでも、この人を騙せるとは思えない。

現に今も、逃がさないとばかりに私の目から視線を外さない。


「えっと……昨日、壁に八つ当たりしたら」


諦めて苦し紛れの言い訳を言うと、案の定、ハァと深い溜息をつかれた。

その表情にバツが悪くなって、顔を下に向ける。


すると、スタスタとキッチンに戻っていった彼。

そして。


「これで冷やしとけ。もう遅いかもしれないけどな」


そう言って、冷えたタオルを持ってきてくれて、手に乗せてくれた。

ひんやりとしたタオルが、ここが現実だと教えてくれる。

小さくお礼を言って、タオルの上に手を添える。


すると、私の隣に腰を下ろした櫻井さん。

痛いほどの沈黙が部屋を包む。


「あの……」


そんな中、私の小さな声が響く。

聞きたい事は沢山あった。


「どした?」

「出張は……?」


今日は出張でいないはずなんじゃ?

首を傾げて問いかけた私に、あぁ、と言って櫻井さんが口を開いた。


「予想以上に早く仕事が片付いたから、急遽日帰りになった」


そう言って、チラリと私を横目に見た。
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