キスの意味を知った日

「すいません。また……」

「もう慣れた」


資料室を出て、身支度を整える。

乗っていくだろ。と問われ、すいません。と答える。

きっと何度断っても、乗っていけ。と言われるに決まっているから素直に頭を下げた。


もうすっかり慣れてしまった、月極の駐車場までの道を歩く。

誰かに見つかって、ツッコまれるのが面倒なのか、裏路地を入った人気のない所の月極だ。

そこに、見慣れた黒い車が待っている。




「最近俺より働いてるな」


エンジンをかけた櫻井さんが、ポツリとそう言う。

その言葉を聞いて、ふっと息の下で笑った。


「そんな事ないですよ、絶対」


ハンドルに手をかけながら、柔らかく笑う櫻井さんにそう言う。

最近少しだけ、こういう表情の彼を見る事ができるようになってきたように思う。

ほんの少しだけ、以前のように互いの間に壁がなくなってきた。

まぁ、だからと言って何もないけど。


「働きすぎて、体壊すなよ」

「そのまま櫻井さんにその言葉お返しします」


あんなに働いて、よく倒れない。

週に1回は必ず出張に行っているし、朝一番に来て、夜最後に帰っている。

まさに仕事の鬼だ。
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