Temps tendre -やさしい時間-
「あの、座りたいんだけど」
 
 こずえは小さな声で言った。

「ごめん、悪かったな」

 その人はゆっくりとこずえから離れ、ベンチの半分を空けた。

「すっかり暗くなったね。星が見える屋上もいいね」

 こずえは慰めるようにその人に言った。

「俺、フラれたんだ。こんなにへこむなんて自分でも思わなくてさ」

「そう、だったんだ」

 こずえはベンチに座りながらそう答えた。

「木本香織先生、知ってるだろ? 先週辞めちゃった」

「うん。確か結婚退職、だよね」

「そ。俺と付き合ってたのに、いきなり大学時代の先輩と結婚するから別れようって言われたんだよね。」

「えっ? 先生と付き合ってたの?」

「結構本気だったんだけどさぁ」

 その人はタバコに火をつけながら言った。
 炎がその人の顔をパッと照らし、すぐに消えた。

「それでここから飛んじゃおうなんて言ったの?」

「なんか心がぽっかり空いたまんまでさ、何にも考えられなくて」

 その人はふっと悲しい笑みをし、煙を吐いた。

「アタシが言うのもアレなんだけど、死ぬなんてバカだよ。これから良いことあるかもしれないのに」

「お前に言われるなんて、なんかおかしい」

 その人はククっと笑った。

「そりゃ、死のうとしたアタシが言うセリフじゃないけど」

 こずえもつられてフフっと笑った。

「お前はなんで死のうとしたんだ?」

 こずえはしばらくじっと靴先を見て答えた。

「いじめられてるの」

「ふ~ん」

「アタシ、太ってて背も低いし、暗いから」

「ぷにぷにしてて気持ちよかったけど」

 その人は左手で揉むしぐさをした。

「失礼ね!」

「ぬいぐるみみたいでカワイイよ」

 その人はタバコを吸い、煙を吐いた。

「ぬいぐるみって……」

 こずえは自分で自分の腕を触った。

「そう言えば。お前、何かいい匂いするな」

「ん?」

 こずえは触っていた手を鼻に近づけてみた。
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