Temps tendre -やさしい時間-
 気を取り直すためにこずえはアールグレイを一口飲んだ。

「ん~、いい香りと味。身体中にしみ渡る感じ」

「だろ? フィナンシェ食べてみろよ」

 野中慎は少し前のめりになってこずえに勧めた。

「うん」

 こずえはキラキラと銀色に光るフォークでフィナンシェを小さめに切り分け、ゆっくりと鼻先に近づけ匂いを嗅いだ。

「なんていい匂い。焦がしバターの匂いがたまらないわ」

 そう言うと口の中へ入れ、じっくりと目を閉じ味わった。

「すごいだろ、ここのお菓子。全部あのマスターの手作りなんだぜ」

 こずえは目を開け、カウンターの向こうにいるマスターを見た。
 のんびりした動作で少ない客の相手をしていた。

「こういうお店でこんなおいしいお菓子やケーキが作れたら幸せだろうなぁ」

「お前にならできるんじゃねぇ?」

 気づくと野中慎のお皿はすっかり空になり、箱の中のシュークリームもなくなっていた。
 アールグレイが少し残っているだけで、タバコを吸いたそうにソワソワしてた。

「タバコ、吸いたいの?」

「まぁ、吸いたいけどここの店では吸わない。せっかくのいい匂いが台無しだもんな」

「そうね」

 時計は21時になろうとしていた。

「急いで食べるね」

 こずえは出来るだけ急いで食べたが、ちゃんと味わって食べた。



「ごちそうさま」

 野中慎はカウンターまで行くと二人分の料金をマスターに渡した。
 こずえもトコトコとついて行き、財布を出そうとしたが遅かった。

「ありがとう。シュークリーム、とてもおいしかったわ。また来てね」

 マスターは満面の笑みでこずえの手を握ってそう言った。

 こずえも「はい」と、笑顔で答えた。



 店を出て、ふたりは稲荷神社へ向かう川沿いの道を歩いた。

「いい店だろ。あ、それとシュークリームありがとう。うまかったよ」

「いえ。喜んでもらえてよかったです」

 こずえは屋上でのことが頭をかすめたが、野中慎の笑顔を見てそのことは言わないことにした。

「お前知ってる? フィナンシェの意味」

「確か資産家、とか金持ちって意味で、形が黄金色の金塊に似てるとこからきてるの。一番の特徴があの焦がしバターよね。あれがあるからフィナンシェなのよ」

「ふ~ん、さすが」

「でしょ~。お菓子やケーキのことならお任せあれ」

 こずえはおどけて見せた。

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