主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-②
伏し目がちになって再び顔を上げなくなった息吹に対して、怒りや悲しみは一切沸いてこなかった。

ただただ信じられなくて…

自身が犯した過ちを後悔して、息吹を引き止められない自分自身に憤慨して……歯を食いしばる。

脚は地面から生えたかのように動かなくなり、それでも息吹に手を差し伸べて許しを請うた。


「息吹……俺はお前との約束を破った。あの女に捕らわれて…絡め取られて…食わざるを得なかったんだ。許してくれとは言わない。だが…」


心を込めて、愛を込めて――


「お前を今でも愛している。息吹……ずっとだ。それを忘れないでくれ。必ず…必ず状況を打破してお前に会いに行く」


「…もう会いません。この子にも会いに来ないで。お願い、だから……!ぅ、っく……」


また息吹を泣かせてしまって、堪えきれずに両手で顔を覆った息吹の肩を抱いていた晴明は、主さまに背を向けて上空の牛車へと声をかけた。


「銀」


「息吹、お前は牛車の中に居ろ。…けして外を見るな」


牛車の中から出てきた銀は、息吹以上にどこかやつれた印象の主さまを一瞥して泣き続ける息吹を牛車の中へ入れて御簾を閉じると、晴明の隣に戻って失笑した。



「十六夜…久々に人を食った感想はどうだ」


「…あれは人ではない。食っても食っても再生する。…晴明…俺は離縁など…」


「…十六夜…お前は呪われている。食ってはならぬものを口にして、身体に少しずつ毒が溜まっている状態だ。このままでは…死ぬぞ」


「俺が……死ぬ…のか…?」



あまりに一気に沢山のことが起こりすぎて感情を失った声で問うた主さまからは、異常なまでの血臭がしていた。

そして晴明は確信していた。


主さまの言っていることは真実で、先ほどの女が――何かしらの理由で主さまを捕らえて、肉体を捧げていたのだろう。

だが同情する余地はない。


主さまは妖の頂点に立つ男で、どんな誘惑にも耐えてその身でもって最強を示すべき男。

主さまはいつも息吹を悲しませる。


今後もきっと女絡みのことが起きて、その度に息吹が悲しむのならば――今すぐ離縁させた方がいい。



「そなたが毒が死ぬまでに私が殺してやろうか?十六夜…構えろ。私と舞おうぞ」


「晴明!俺は息吹を愛している!過ちは犯したが、想いは変わらない!」


「世迷言を申すな。そなたは娘を悲しませた。私を激怒させるに十分な事象だ。さあ、その刀を抜け」



銀はただ見守っていた。

牛車からは――気丈に振舞っていたものの、糸が切れたのか絶えず息吹の泣き声が聞こえていた。
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