主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-②
「そんな…離縁なんてあたしは信じないからね!」


取り乱した山姫が庭を行ったり来たりして落ち着きなくしていると、玄関側で牛車が止まる音がして考え直した息吹が戻って来たのかと山姫が駆けて行く。

雪男も慌てて後を追ったが、すぐにその脚は止まった。


「なんだ、この匂い…!」


濃厚な血の匂い。

それは牛車の中から香り、先に行っていた山姫が着物の袖で鼻を押さえながらよろめいた。


「血…血の匂いが…!」


妖ならば逆らえないほどの血の匂いに、山姫と雪男の本能が疼く。

理由もなく人を食ってはいけないという主さまとの契約の下、強い理性で本能を捻じ伏せてきていた2人でも目の色が変わってしまう濃厚な匂い。

固唾を呑んで見守っていると、ゆっくり御簾が上がって中から晴明が出てきた。


「晴明!?この匂い…あんた…怪我もしてるのかい!?」


「私ではない。雪男、布で鼻と口を覆って手伝ってくれ」


雪男が眉を潜めると、牛車から降りた晴明が何かを肩に担いだ。

その正体を見るなり山姫と雪男は悲鳴を上げて牛車ににじり寄る。


「主さま!?ちょっと…息をしてないじゃないか!一体何が…!さっき銀が主さまと息吹が離縁するって…あたしもう何がなんだか…!」


「話すと長くなる故、今は十六夜の処置が急務だ。あとその女子を蔵に」


「…!な、なんだいあんた…この匂い……あんたから…?」


牛車の奥に正座して座っていた見知らぬ女。

儚げな美女で、目が合うと恐れるように伏し目がちになって膝に視線を落としている。

怪我も見当たらないのに血の匂いを牛車内に充満させていた女は、晴明に促されて牛車を降りると両手で顔を覆って頭を下げた。


「申し訳ありません…私のせいで…!」


「まさかあんたが主さまを脚止めしてたのかい?!あんたのせいで息吹は…あたしの娘は…!」


非難して詰め寄る山姫の肩を押して離れさせた晴明は、ぴくりとも動かない主さまの顔を山姫に見せて強い口調で現状を語った。


「十六夜をこのままにしておくと本当に死んでしまう。そなたたちは主を失いたいのか?」


「俺、蔵の鍵を開けて来る!あと場所も…」


「助かる。山姫…事情は後でゆっくり話す故、この女子には何もせぬよう。いいね?」


「……息吹は…あんたのせいで…」


悔し涙を落とした山姫は、手拭いで口を鼻を覆って女…椿姫の手を掴んで蔵へと脚を向けた。
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