主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-②
早朝目が覚めた息吹は、いつの間にか隣で眠っていた若葉の肩まで布団をかけてやると、すぐ傍で胡坐をかいたまま眠っていた銀の尻尾にそっと触れた。


「銀さん…」


「ん…ああ、起きたか。どうだ、体調に変化はないか?」


「うん…。やっぱりこの部屋落ち着く。銀さん…結局父様は戻って来なかったの?…あの女の人は?それと………大丈夫なの?」


主さま、と言おうとしてやめた息吹は、床から起きて火鉢の前に座ると、昨日の出来事を振り返った。

…忘れもしない、あの光景。

主さまの真実の名を呼んだあの女の人は、1ケ月もの間身体の関係がないと言い切った主さまと一体どんな生活を送っていたのか。

食われた形跡は見当たらなかった。


だとしたら、主さまは一体誰を食っていたのだろうか?


「息吹、余計なことを考えるな。お前は十六夜と離縁してここに戻って来た。考えるべきことは無事に出産するということのみだ。わかっているんだろうな?」


「私は無事に赤ちゃんを産んで、父親が居なくても幸せにしてあげるために努力します。銀さん、ちゃんと私わかってるから」


「わかっているならいい。だが十六夜が会いにきたならばどうする?会うのか?」


――主さまが自分に会いに来る…

そう考えただけで胸が締め付けられて苦しくなった息吹は、大きな欠伸をして起きてしまった若葉に手を伸ばして抱きしめると、ぎゅっと目を閉じる。

…嫌いになって別れたのではない。


これは、主さまから逃げるために下した決断なのだ。

女の影がちらちら消えない主さまから逃げるために。


もうこれ以上、自分自身がしなくていい想像をして傷つかないように――


「…主さまはもう私には会いに来ないよ。一方的に別れを告げたし…もう私に愛想尽かしてあの女の人と暮らそうとしてるのかもしれないし」


「あいつはそこまで薄情な男に見えたか?不器用な奴だが、お前への想いは確かなものだと俺は感じているんだが。まあ…不器用故に、お前が離縁を告げても現状をうまく言葉にできなかったのかもしれないな」


主さまが不器用なことくらい、わかっている。

だが息吹が黙り込んだまま若葉を抱っこして銀を見つめると、銀は肩を竦めて参ったというように両手を軽く挙げた。


「降参だ。これ以上十六夜の話はやめよう。飯でも食わないか?」


「うん。じゃあ準備してくるね」


主さまの居ない生活を送ることはできるのだろうか。

不安だらけだったが、主さまの存在を払しょくするために腹を抱えて台所に向かった。
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