主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-②
一瞬、絶望に目の前が真っ暗になりそうになった。


酒呑童子が狙いを変えて息吹の元へ猛然と駆けてゆく。


頭が真っ白になった。


息吹には怪我ひとつさせない――

息吹を守らなければ――


その一心で、主さまは空を蹴って駆けた。


駆けて駆けて、酒呑童子を追い抜いて腹を両手で庇っている息吹の元までたどり着いた。


「主、さま…!?」


言葉を交わす余裕もない。

あの鬼の手で息吹にかすり傷でも負わせられたら致命傷になる。

呆然としている息吹の身体を思いきり抱きしめた。

もう酒呑童子に攻撃できる余裕もなく、そうすることしかできなかった。


主さまが身体を張って息吹を守ろうとしていることに気付いた晴明が咄嗟に印を結んで主さまと息吹に強固な結界を張った。


だがあの鬼の手は強力で、貫通するほどの威力を持っているかもしれない――

いちかばちかの賭けだったが、晴明もまたそうすることしかできずに気合いの息を発した。


「お前らもろとも貫いてやる!」


怨嗟のこもった言葉が主さまと息吹に叩き付けられる。


――久々に主さまに抱きしめられた――

そのぬくもりと力強さに涙が滲みそうになって背中に腕を回しかけた時…


主さまが…くぐもった短い息を吐いた。



「主さま…?主さま…どうし………主さま…!きゃぁーーっ!」



息吹の絶叫が響き渡る。


限界にまで見開かれた瞳が一心に見つめている先には――


主さまの腹から、巨大で鋭い大きな手が、生えていた。


吹き出す鮮血…

歪む主さまの顔……


力なく倒れ込んできた身体を受け止めた息吹もまた主さまの鮮血に染まってみるみる着物が朱色に変わってゆく。


「主さま…主さま…!死なないで、主さま!父様、主さまを……っ、うぅ……っ」


「息吹!?はっ!」


晴明が懐から札を取り出すと気合いと共に酒呑童子に投げつける。

主さまの腹から抜けた腕に札が巻き付くと、酒呑童子は苦悶の声を上げて右腕を庇った。


「息吹、しっかりしなさい!息吹!」


「父、様……お腹が…お腹が……っ!主さまが…!父様、主さまを、助けて…!!」


陣痛が始まっていた。
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