わがまま、ごめん 【TABOO マラソン】
本文
あの子を初めて見たのは6年前。箱根の山を軽やかな足取りで駆け上って行くその雄姿に、一目惚れした。
その日から4年。彼は山の神と呼ばれ続け、今はある企業の陸上部に席を置いている。
オリンピックの代表選考会も兼ねているマラソン大会に出場しているあの子を応援すべく、私はテレビの前に陣取っていた。

「なあ。飯は?」
「作ってない」

ぼさぼさの髪で大欠伸をしながら、彼が空腹を訴えてきた。同棲を始めて半年になる彼は、明け方まで仕事をしてきて、今まで寝ていた。
いつもならば、すぐに何か用意してあげるとこだけど、今の私にはあの子を応援すると言う使命がある。それどころではない。
レースは折り返し地点を過ぎて、先頭集団は7人に絞られていた。
その中に必死に走るあの子もいる。

「お前、飯は?」
「食べてない」
「よし。食いに行こう。旨い店、見つけたんだ」
「パス」
「は?!」

食道楽者の彼が見つけてきた店ならば、間違いなく美味しいだろう。
いつもの私なら二つ返事で飛びつく。
けれど、今の私には……

「パス?」
「悪いけど、マラソンが終わるまで話しかけないでっ」

できないなら出で行って。
そう言って、私は腕を組んでぷんぷんと、煩い彼に怒った顔を作って見せて、またテレビを見つめた。

「マラソン?」

彼の怪訝な声が聞こえる。あなたより大切な人が走っているのとは、さすがに口にできなかったので、彼の疑問はそのままにした。
この大会で2時間7分台の記録を出せば、あの子にも代表入りのチャンスはある。私は指を組み合わせ祈るようにして、走るあの子を見守った。
そんな私の傍らで、走る走るというサビが印象的な歌を口ずさむ彼がいたが、それもすっぱり無視した。




テレビの前で、私は茫然となっていた。
ラストスパートのタイミングが早すぎたあの子は、残り5キロで力尽き失速。2時間10分を超えるタイムでゴールとなった。
入賞は果たしたものの、毎年、箱根の山で見ていた眩しい笑顔はそこにはなかった。肩を落としたあの子の姿に、私の目頭はジンジンしっぱなしだ。

「なあ。話してもいいか」

欠伸を組み殺しながらのその声に、ようやく私は我に返った

「飯、行こうぜ」
「……うん。美味しいの、食べさせて」

マラソンに負け放置されていた彼は、現金なその返事に苦笑しながら立ち上がり、私の手を取った。
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