ボレロ - 第一楽章 -
手を伸ばせば彼女に触れることができる距離だった。
彼女のため息が聞こえる。
珠貴もまた、私と同じように居心地の悪さを覚えているのだろうか。
どちらも顔を向けることなく、私たちはやや顔を背け気味に座っていた。
「宗、ちょっといい?」
”宗” という静夏の声に、珠貴の肩がビクンと反応した。
「珠貴さんにご挨拶をしたいの」
「あっ、あぁ……」
私の前に身を乗り出すようにして静夏が話をはじめた。
「先日は失礼いたしました」
「こちらこそ……」
「ありがとうございました。これ、とても気に入っています。
お礼をお伝えしたくて、もう一度お会いしたいと思っていました」
珠貴の顔が大きく上げられ、耳元におかれた静夏の手の先を見つめた。
「あっ、それは……」 と驚きの声がした。
「大叔母も大変喜んでおりました。もちろん私もです……
私をイメージして作ってくださったそうですね。本当に嬉しくて」
「宗一郎さんの妹さん……」
「はい、近衛静夏です。先日はご挨拶できずに気になっていました。
私のこと、もしかして誤解なさったんじゃないかと思って」
「いいえ、そんなことは……こちらこそ、急ぐ用事がありましたので、
慌しく失礼いたしました」
緊張の糸がほぐれていく思いだった。
珠貴の声は明らかに安堵した声に変わり、私を間にはさみながら静夏と会話が
始まった。
ぎこちなかった会話が少しずつ和らぎ、いつのまにか弾むようにかわされて
いた。
「珠貴、楽しそうだね。僕のことも紹介してくれないか」
親しく 「珠貴」 と呼ぶ声に、私の肩が大きく揺れた。
「あら、ごめんなさい。こちらは近衛さん、お兄さまの宗一郎さんと妹さんの静夏さん。
先日お届けしたお品を、とても喜んでくださいました。
こちらは私の叔父ですの。父方の叔父で……」
「須藤です。姪がお世話になったそうですね。ありがとうございます」
叔父だと?
驚きで彼らの言葉をすぐには理解できなかった。
その男性は、確かに須藤と名乗った。
とっさに狩野を睨んだ。
珠貴の叔父だと知っていながら、私の前ではそ知らぬふりをした。
あたかも珠貴の婚約者であるような言い方をし、私を不安に陥れた友人は、
そっぽを向いて我関せずといった顔をしている。
狩野の横で佐保さんが、可笑しさをこらえるように口元を押さえていた。
私の迷いを戒めるように、自分で聞けと怒ってくれたことをありがたいと
思いながら、狩野を睨み続けることで、友人の仕業に腹を立てている
振りをした。