ボレロ - 第一楽章 -


男との別れを簡単な言葉で締めくくったが、そんな単純な思いではなかった

はずだ。

彼女に愛想をつかして別れたのではなく、否応なく背負わされたプレッシャー

によって男は逃げ出した。

珠貴が恋愛に対して消極的になるのもわからなくもなかった。

愛した相手が人生も含め会社も引き受け、自分も愛されていると思って

いたのに拒絶されたのだ。

恋愛不信にもなるだろう。 

そこで思い当たることがあった。

珠貴がイタリアに行っていた二年は、彼と別れたあとだ。

日本にいられないほど打ちのめされたということか。

そのときの珠貴の胸中を思いやり、憤りが込み上げてきた。

このときは彼女の辛い思いを理解したと思っていたが、そうではなかった。

私が感じたよりも、もっと深い部分で珠貴は傷ついていたのだった。

それを知らされるのはもっとあと、珠貴の本当の思いを理解するには、私たちがともに過ごした時間では足りなかった。 



「だから決めたの。まずは父の後継者になりえる人と結婚することだと。 

私にとってはそれが第一条件、恋愛は二の次なの。

二の次だったはずなのに、あなたに出会ったわ。

それも私の条件に一番当てはまらない人だった」


「ははっ、そうだな。俺は君が選ばなければならない男の条件から一番遠い」


「さっき言ってくれたこと、私も同じ。

初めて会ったときのあなたの印象は強烈だった。 

こんな男性もいるのかと感動したわ。そして、忘れられない人になったの」


「光栄だね」


「こちらこそ……ふっ、今夜の私たちは素直だわ」


「あぁ、いつになくね」



今なら素直に言えそうだと言った珠貴だったが、本当にそのとおりで、

気負わずさらっと心の内を見せてくれる。

もっと早くこんな時間を持つべきだった。

そうすれば、諍いをやらずにすんだのだ。



「この人はダメ、好きになってはいけない人だと、

思えば思うほど惹かれていくの。 

自分でもブレーキをかけていたつもりなのよ。

それなのに宗ったら、どんどん近づいてくるんですもの。

拒みようがなくなって……こんな強引な人は初めてよ」


「そうさ、俺のほうも必死だったからね。なんとか君に近づこうと画策した」


「だから嬉しかったの。あなたがそのとき考えようと言ってくれたこと。 

決断しなければならない時がくるまで、思い切り楽しい時間を

過ごせばいいんだと思った。 

それまでの私は、恋愛を楽しむなんて考えたこともなかったんですもの。

宗の言葉を聞いて気持ちが楽になったのよ」



どうして珠貴の態度が急に変わったのか、ようやくわかった。

いつも一歩引き、すべてを見せることのなかった彼女が、私に甘えたり

楽しげにしているのが不思議でならなかった。

なるほど、こんな決心をしていたのかと彼女の潔さをまた実感した。



「わかった……珠貴の気持ちは良くわかったよ。ひとつ確認したいことがある」


「なぁに? なんでも答えるつもりよ」


「俺にはまったく可能性がないのか。

そのときがきたら、潔く別れられる相手なのか」


「それは……わからない」


「答えになってない。何でも答える約束だ」



不意に立ち上がった珠貴は、窓辺に近づくとブラインドの閉じられた窓から、 

見えない外を眺めるように一点をじっと見据えた。



「静夏ちゃんにも聞かれたの。

宗をあきらめられるんですか、そんなに簡単な思いなんですかって」


「アイツ、そんなことを……」


「あれから考えたわ。でも、答えが出ないの」



そこまで言うと突然こちらを振り向いた。



「私、宗が大好きよ。どうしようもない止められない想いなの。

だからわからないの。 

決められた人と他の道を歩かなければならなくなったとき、

自分がどうなるのかなんて、わからない。

でも、あなたをあきらめなきゃいけないってことだけは、わかってる……」


「……もし……もしも……俺たちが一緒に歩ける道が見つかったら?」


「えっ、あるの?」


「いまはまだ、俺にも見つからない……だが、可能性がゼロではないはずだ。 

模索していいはずだ。あきらめるのは、手を尽くしたあとだと思わないか。

だから言ったんだ、そのとき考えようって」


「そうだったの……」



儚げに微笑み私のそばに来て、ゆっくりと抱きしめ顔を近づけると鼻先に

触れてきた。


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