ボレロ - 第一楽章 -


後ろを振り向いてバルコニー後方の奥を指し示すと、平岡は感心したように

頷いた。



「あんなところから舞台が見えるんですかねぇ。

ここプラテア席ですが、なんでも企業が契約している年間予約席らしいです」  


「ふぅん、どうでもいいが、俺が寝たらほっといてくれ」


「鼾だけはかかないでくださいよ」


「そんな約束ができるか。

だいたいだな、イタリア語のオペラがわかるわけないだろう。

眠くなるに決まってる」


「そうですね、じゃぁ、イタリア語のできる人を呼んできます」



平岡は私を席に案内すると 「どこ行くんだ」 と聞く私の言葉には答えず、

足早にホールから出て行った。

イタリア語のできる人を呼んできますと平岡は言ったが、日本語のわかる

現地の人間を連れてくるつもりだろうか。

彼にそんなつてがあったのかと平岡の手際の良さに感心しながら、手元の

パンフレットを眺めて待つことにしたが、イタリア語で書かれた文章が私に

わかるはずもなく、開演前だというのに早くも眠気が襲ってきた。



「珍しいところでお会いするわね」



聞き覚えのある声に、私は弾かれるように顔を上げた。

そこにいたのは、日本にいるはずの珠貴だった。



「イタリア語ができる人ってのは君だったのか」


「イタリア語の通訳が必要な人ってあなただったのね」



そこに座ってよろしいかしら、と私との再会に驚いた様子もなく、珠貴は

私の隣りの席に腰掛けた。

とても良い席ねと満足そうに頷きながら、ひとりで納得している。 



「どういうことだ。説明してもらおうか」


「私にもわからないわ。

大事なお客様にオペラの説明をして欲しいと、チケットを渡されただけ」


「平岡に会ったのか」


「いいえ、平岡さんもご一緒だったの? あっ……」



思い当たることがあったのか、口元に手をあて考える素振りをし、手元の

バッグから封筒を取り出した。 

相手に会ったら渡して欲しいと頼まれたと言いながら、私に封筒を差し出した。


『彼女は先輩にとって最高の通訳になるでしょう。

楽しい休日を! では明後日、空港で……

PS 劇場で喧嘩をしないでくださいよ。 平岡』


とぼけた内容の手紙で、苦々しい顔をしながら珠貴に手紙を見せると、

そういうことだったのねと、またも頷いている。



「そういうことって、どういうことだ。これを誰が君に渡した」


「蒔絵さんよ。彼女と新ブランドに合う服地の視察に出張に行くってこと、

先月あなたにもお話したでしょう。忘れたの?」


「そういえば、そんなことを聞いたような……」


「私の言ったことなんて、その程度の記憶しかないのね」


「そんな言い方をしなくてもいいだろう。

誰しもうっかり忘れることはある。そうか……あの二人、はかったな」


「そういうことでしょうね。せっかくですから説明させてくださいね。

今日の演目はアイーダ、ヴェルディ作のオペラでエジプトが舞台です。

有名なオペラで、悲劇のグランドオペラと呼ばれているの」


「グランドオペラって?」



グランドオペラとは、簡単に言えば大規模な舞台だと言う意味であると説明が

あり、その後、あらすじの説明が淡々と続いた。



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