ボレロ - 第一楽章 -


彼の寝顔を明るい朝日のもとで見るのは初めてだった。

宗と一緒に朝を迎えることは当分かなわないだろうと思っていただけに、

思わず笑みが浮かんでくる。

互いを人生のパートナーだと意識したときから、人目を避けるように

会うことが多かった。

どちらも時間が自由にならない立場と言うこともあるが、その不自由さが

余計に飢餓感を煽り、二人でいられる時間を探し出しては、会えない時を

埋めるように互いを求めてきた。


遮光カーテンから僅かにもれた光を頼りに、宗の顔をじっと見つめる。

閉じられた目から伸びた睫毛は長く、睨みつけると凄みのある目は閉じて

いると優しげだった。

整った鼻筋とゆるく閉じられた唇は、彫像のように狂いのない線で綺麗に

結ばれ、額にかかった髪までも顔のラインを引き立たせていた。

端正な顔と片付けてしまうには整いすぎている。

眉目秀麗……そうだ、この言葉が当てはまるわ、と彼を表現する言葉を探し

当てた自分に満足した。

人差し指で鼻筋をなぞってみようかと指で触れたとたん宗の口が動き、

私の指は驚きで鼻の上で弾けた。



「今日の予定は?」


「起きていたのね」



鋼鉄の微笑みはそこにはなかった。

私だけが知っている柔らかな笑みを浮かべながら、抗えない力で私の体を

引寄せ懐に包み込む。

さきほどまで身をおいていた温かな胸のぬくもりに、また顔を預けることに

なった。



「行きたいところ? どこへでも案内するわよ。リクエストは?」


「珠貴がいればどこでもいい」


「まぁ、嬉しがらせることをこともなげに言うのね」


「いや、君がいなければ、この街では不自由すると思ってね」


「なんだ、そういうこと。意地悪な人ね」



口では苦々しいことを言うが、私を抱え込む手はこの上もなく優しく、

肩から背中へと愛おしそうになぞりながら、嫌味な言葉をつなぐのもいつもの

ことだった。



「ずっとこの部屋で過ごしてもいい。ベッドの上なら服も靴も食事もいらない」


「宗の提案も魅力的だけど食事は困るわ。

それに、せっかくのお休みを部屋に篭って過ごすなんてもったいないでしょう」


「俺はこのままでもかまわないよ。珠貴はこっちに住んでたんだ。

いまさら観光でもないだろう」  
 

  
腰にたどり着いた宗の手が私の腰を抱く。

密着した肌は、もう何年も一緒にいるように違和感なくしっとりと馴染んだ。

腹が減ったらルームサービスを頼んだらいいなんて、出かけることが億劫

なのか、私の提案に面倒くさそうな顔をしている。

肩から首筋に唇を這わせ、甘い刺激を残しながら顔までたどりつき、互いの

鼻先を合わせながら、またも出かけるのは面倒だと言う。


宗の言い分に負けそうになるのはこんなときだ。

嫌だと言い出すとなかなか撤回せず、言葉で私を困らせながら、悪戯な指先が

私の思考を崩してくるのだった。

今もそうだ、理性を保つ努力をしなければ、簡単に彼の意見に顔を縦に振って

いただろう。

けれど今回は譲れない、私の過去を彼に見て欲しかった。 



「出かけましょうよ。私が過ごした街を紹介したいの。 

ガイドブックにも載っていない、楽しいところがいっぱいあるのよ」


「君が通い詰めたイタリア菓子の店とか?」


「そう。他にも市場とか、路地裏のカフェとか……」


「なに? つづけて」



私の口元におかれた彼の親指が唇をなぞっていたが、つづきを話してという

ように、唇を超えて舌を刺激した。



「私の住んでいた街も……」


「それは興味があるね。珠貴が過ごした街か。行ってみたいな、案内して」


「……いいわ。行きましょう」



口の中に入り込んだ指は舌と戯れ、甘い疼きが広がりつつあった。

宗の気持ちの変化とは逆に、私の方がベッドを離れがたくなっていた。




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