ボレロ - 第一楽章 -
ドアを開け一瞬の間のあと、歓声とともに私たちは数人に囲まれた。
声を聞きつけて、奥から飛び出してきた女将さんの腕に閉じ込められ、
私はようやく懐かしい場所に戻ってきたのだと実感した。
隣りで手荒い歓迎振りを見ていた宗にも、みなは私と同じく歓迎の笑みを向け、
ここに座ってと手早く用意された席に腰を落ち着けた。
「家族が帰ってきたような歓迎ぶりだね」
「そうね。いつ来ても気持ちよく迎えてくれたわ」
「君はここで人気者だったみたいだね。言い寄った男もいたんじゃないか」
「えぇ、いたわ……イタリアの男性は情熱的よ。
挨拶代わりに、顔を見るたびに求婚の言葉を口にするんだもの。
日常的に口説かれてたわね」
含み笑いをしながらこういうと、宗は私の答えが気に入らなかったようで、
憮然とした表情になっていた
男性に嫉妬してもらうとは、なんて気分のいいものだろう。
常に冷静な判断を下し多少のことでは動じない宗が、苛立たしげにテーブルを
指で叩いて感情を露わにしている。
運ばれてきた食事も、マナーを無視したように乱暴に切り分けて口に運んで
いるのだから、彼の機嫌は相当に悪い。
こんな宗も滅多には見られないと内心面白がりながら、私はかつての友人
たちと会話をしながら食事を進めた。
けれど、そろそろ機嫌を直してもらわなければ、彼もせっかくの食事を楽しむ
ことができないだろう。
過ぎたことよ。私が大事なのはあなたなの……と言おうとして言葉を
飲み込んだ。
宗の肩越しに見えたのは、かつて短い間だったが浅からぬ関係にあった
カルロだった。
誰かが私が来ていると知らせたのだろう、そうでなければ彼がここにくる
はずがない。
店に姿を現した時から、私への視線をはずすことなく近づいてきた。
私の目の前にいる男性のことなど眼中にないといった様子で、私だけを
見つめている。
彼から視線をはずす事ができないほどカルロの目は私を捉え、その目に
促されるように立ち上がった。
彼に歩み寄って抱擁し、懐かしい友にするように頬に親しげな挨拶をおいた。
カルロの口が矢継ぎ早に質問を繰り出す。
私はそれに対して、ゆっくりと丁寧な言葉を返した。
ひとしきり質問があったあと、ようやくこの男は誰かとカルロが聞いて
きたため、しばらく間をおいて私が告げた答えに、カルロはそんなのは
認められないと大声を張り上げた。
その声に宗の顔が一瞬にして変わり、射るような眼差しがカルロに向けられた。
体格のいい二人の男がにらみ合っていたが、先に視線をはずしたのは宗の
ほうだった。
「コイツが誰だろうと俺には関係ない。何を言っているのかもわからない。
だが、互いに嫌なヤツだと思っていることだけはわかる」
「彼には説明したわ」
「説明? 何を言ったかしらないが、もういい。帰るぞ」
「そうしましょう……」
事の成り行きを見守っていた女将さんは、早く行けと手を振っている。
宗の手に引かれるままにみなに慌しく別れをし店を出る私たちに、カルロの
大きな声が飛んできた。
それに答えた私に彼は呆然と立ち尽くし、言葉を失ったままの彼に最後の
笑みを向け、懐かしく思い出のある店をあとにした。