ボレロ - 第一楽章 -
シャワーの中の珠貴は私につかまるように立っていた。
常に対等であろうとする姿勢も、この場では私に頼るしかないようだ。
珠貴の体を丁寧に拭き、バスローブにくるんで抱き上げた。
タオルドライした髪はまだ湿っていたが、腕の中の疲労を滲ませた顔に湿った
髪が艶を加えている。
「さっきの……」
「さっきの、なぁに?」
「さっきの男に、その……最後に、なんて言ったんだ」
「最後にって?」
「アイツ、大声で叫んだじゃないか。そのあと、珠貴の言葉に彼は黙り込んだ」
「あぁ、あれは……」
腕の中で、ふふっと思い出したように彼女が笑った。
次第に体を小刻みに揺らし、その笑いは大きくなってきた。
「笑ってないで教えてくれ」
「ふふっ、ごめんなさい。 あのとき……」
「あのとき?」
「私を忘れられないって、そう彼が言ったの。だからこう言ったわ」
笑っていた顔が引き締まり、私の目を真っ直ぐに見つめた。
「この人は、私の最愛の人よって」
彼女に返す言葉が見つからず、私は珠貴を抱きしめ接吻することしか思い
つかなかった。
初夏の日差しも、遮光カーテンに閉ざされ私たちのベッドには届かない。
クラシカルな時計の針が、朝日はとうに昇っている時刻であると指し示していた。
一人暮らしの習慣からか、毎日同じ時刻に目が覚める私の脳も、昨夜の
刺激的な時の疲れからか、今朝は起きろと指令を送るのを忘れたようだ。
珠貴の頬を手の甲で撫でてみたが、深い眠りに入り込んでいるのか動く気配は
まったくなかった。
「出発の時間まで、ずっとこの部屋で過ごそう。
ベッドの上なら 服も靴も食事もいらない」
眠り続ける珠貴の耳元でこうつぶやいたが、うぅん……と小さく声を漏らした
だけだった。
帰国後、またいつもの生活戻ってくる。
自堕落な時は、ホテルを出発するまでの数時間だけだ。
彼女を起こそうかとも考えたが、こんな安らかな時間は滅多に持てないもの
だと思い直し、珠貴と同じベッドで、しばらく時を過ごすことにした。
柔らかなうなじに唇をおき、体を抱え込むと私も目を閉じた。
・・・ 【ボレロ】 第一楽章 完 ・・・