ボレロ - 第一楽章 -


「近衛さま、いらっしゃいませ」



ウェィティングルームに通されたあと奥まった席に案内されると、

ほんの僅かな気配とともに現れた初老のギャルソンが、慇懃な礼で

迎えてくれた。



「羽田さん、お久しぶりです。

今夜は無理を言いまして、お世話になります」


「お待ち申し上げておりました。

無理などと、そのようなことはございません。 

ですが、お任せいただいてよろしいのでしょうか」


「そうだった。君の苦手な物があれば言って欲しい」


「いえ、特に。なんでもいただきますのよ」


「ということだ」



彼が伝えると、老齢のギャルソンは満足そうな笑みをたたえた。



「今夜はいかがいたしましょう」


「やめておくよ。彼女には軽いものを」


「かしこまりました」



形の良い礼をし、さきほどと同じように静かにテーブルから離れていった。

二人の会話は、長年の付き合いを物語るようにごく短い言葉で成立し、

余計な質問もおしゃべりもまったくない。



「暗号のような会話ね」


「ありがたいことに、彼には言わなくても伝わるようだ」


「なにをやめておくの?」


「アルコールはどうするかと聞かれたんだ」


「私に遠慮なさらず、宗一郎さんはお飲みになればよろしいのに」


「いや、いいんだ。君には軽いものをと頼んだが、良かったかな」 
 

「私もあまり……あまりいただかないの」


「まさか、飲めないってわけじゃないだろう」


「少しなら……でも、どちらかといえば苦手です」



彼が意外だと言わんばかりに驚いた顔をした。

私がほとんど飲まないというと、誰もがこんな顔をする。



「そうは見えなと言いたいんでしょう」


「そうじゃない……」


「じゃぁ、なぁに?」


「俺と同じだと思って」


「えっ!」


「そんなに驚くな。こんなこと、誰にでも言えることじゃない」


「じゃぁ、本当に……潤一郎さんは?」


「アイツは底なしだ。どれほど飲んでも平気な顔をしている」



顔を背けた彼の目から、これ以上聞くなと言ったように無言の圧力を

感じた。

けれど、どうしても信じられず、私は彼の表情を無視してなおも聞いた。



「宗一郎さんのようなお立場では、お付き合いもお困りでしょう」


「あぁ、困るよ。相手を欺くのに苦労してる」


「欺くって、どうやって?」



彼の自尊心を慮る (おもんぱかる)より、自分の興味の方が勝っていた。

飲めないことをどうやって隠しおおせるのか、それが知りたかった。




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