ボレロ - 第一楽章 -


今夜もエレベーターからの眺めは期待を裏切らなかった。

これが楽しみなのと、珠貴はガラスに息が掛かるほど顔を近づけ嬉しさを

隠そうとしない。



「夕暮れ時の紅い空も綺麗だと思ったけれど、

闇の中に輝く光には及ばないわね」


「暗闇が汚いものを全部隠してしまうからさ。闇に吸い込まれて幻想を見せる」


「宗一郎さんって、現実的な方かと思ったけれどそうでもないみたい。

意外に……」


「意外に?」


「いえ、やめておきます」


「そこまで言ってやめるのか」



珠貴の腰に手を回し、ゆっくり引寄せた。

抵抗するだろうと思っていた。

何をするのと、体を引き離そうとするだろうと……

ところが、珠貴は腰に置かれた私の手の上に、自分の手を重ねてきた。

女性にしては長い指が私の手を包むように握る。



「よく本を読む方でしょう。そうじゃない? 

文学的な表現をする方だと思ったの」


「あぁ、読むね。今はノンフィクションが多いが学生の頃は乱読だった。

目に付く本を片っ端から読んだ」


「やっぱりね。そうじゃないかと思ったわ」



その後言葉が途切れ、ただひたすら夜景に目を向けた。 

何か言ってしまえば、この大事な時間が壊れそうだった。


須藤珠貴に初めて会った日に、彼女に関して調べられることは調べあげた。

小学校から高校までは、義妹と同じ名家の娘たちが通う名門の女子校を

卒業していたが、大学は国立大学卒となっていた。

大学まである私学にいながら、なぜわざわざ受験をして他の大学へ進んだの

だろうか。

その後、どこかに勤めた形跡は見られず、卒業後二年を経て父親の会社に

入社しており、彼女の経歴だけでも興味をそそられた。


抱えていた興味や疑問を彼女に聞いてみようと思っていたが、ここで聞くのは

無粋なことのように思われた。

エレベーターという異次元空間は、殺伐とした現実を忘れさせてくれる。

珠貴の手のぬくもりを感じながら、彼女の腰をまた少し引寄せ、

目の前に広がる夜景の過ぎゆくのを惜しむように眺めた。




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