ボレロ - 第一楽章 -
これまでに、何度も同じようなことはあった。
彼は何気なく私に触れる。
それは決して嫌ではなく、むしろ私を落ち着かせた。
けれど今日は……握られた手に驚き、そして狼狽した。
自分の驚きに戸惑ったものの握られた手を離すことも出来ず、宗一郎さんに
されるままになっていた。
「珠貴は自分を引っ張ってくれる男を探してるんだろう?
親父さんに屈服しない、対等に話のできる男を」
「そうかもしれないわ」
「見つからなかったらどうする」
「うーん、困るわね」
「はは……そのときは俺が引き受けるよ」
「えっ? もぉ、冗談はやめて。私たちは……無理よ」
宗一郎さんの高笑いが部屋に響く。
体を揺らしながら笑っていたが、ふっと黙り込み握っていた手に緩やかに
指を絡めた。
「いつか現れるさ。こうして手を繋いで、珠貴を引っ張っていく男にな」
「そうだといいけど……」
家柄や経歴を重視した男性との出会いで、本当の意味で手を携えて歩ける
男性にめぐりあえるのだろうか。
甘い幻想などとうの昔に諦めていたが、宗一郎さんが言うと、そんな出会いも
あるのかもしれないと思えるから不思議だった。
では彼も、いつか必ず真のパートナーにめぐりあえると信じているのだろうか。
柔らかい笑みを浮かべてはいるが、鋼鉄の微笑と囁かれるほどガードが固く、
優しい顔に似合わず現実的な考え方をするこの人が選ぶ女性が、どこかに
存在するということだ。
街で偶然見かけ声を掛けたあの日から、幾度となく再会して言葉を交わし
食事をともにした。
宗一郎さんとすごす時間は、すべての煩雑な事柄から私を解き放ってくれる。
家も立場も忘れ一時の開放感に浸っていられる貴重な相手だった。
この先、それぞれの相手にめぐり合い、互いのパートナーを伴って、同じような
付き合いをしていくのかもしれない。
そう考えたとき、ふいに湧き上がった感情があった。
それは、嫉妬と言うにはまだ幼すぎたが、快い感情ではないことは確かだった。
宗一郎さんの横に立つ女性が現れたとき、私は冷静でいられないのではと
思ったのだ。
なぜ? 彼を好ましい男性だと思っているから?
そんな単純な感情でないことはすぐにわかったが、その思いを認めるわけには
いかなかった。
惹かれてはいけない相手だと確認するように自分に言い聞かせた。
良い友人が身近にいる、それでいいのだと……
「難しい顔をしてどうした。
断る理由が足りないのなら、俺のほうでも詳しく調べてみるよ」
「あっ、ごめんなさい。少し疲れただけですから」
私の手を引寄せると頭の上に顎を乗せ、お互い厄介な家に生まれたものだと、
今更のように愚痴を言っているのが聞こえてきた。
彼が狩野さんの電話でこのホテルへ駆けつけたことなど、このときの私は
知る由もなかった。
この日を境に、宗一郎さんは私の相談相手となり、独自の情報網で縁談相手の
欠点を探し出し、私が断れるだけの材料をそろえ、縁談を不首尾へと導く
手助けをしていく。
それが、彼の画策だと気がつくまで、私はかなりの時間を要することに
なるのだった。